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微分積分学―技法に凝ってはならない

微分積分学

微分積分学

 

 多くの理工系の大学生は、1年次に微分積分学線形代数学の基礎を勉強する.本書は恐らく様々な大学で教科書もしくは参考書として採用されているもののひとつだろう.

齋藤正彦の文章は明快で、読みやすい.教育のために書物を書くということをかなり意識されているのだろうと思う.初学者を路頭に迷わせることがないよう随所に細やかな配慮が張り巡らされている.議論の骨子も常に明確に示されており,証明はかなり丁寧である.かといって冗長にはならないところに筆者の相当の力量を感じさせる.

初学者向けではあるが,正統的な数学書のスタイルは維持されている.正統的な数学書だとどうしても定理→証明の絶え間ない繰り返しとなり,数学を専門としない者にとっては,その連鎖がたまらなく無味乾燥なものに思えてくる(もちろんそれに耐えうる者のみが数学者になるのだろうが).しかし,この本はそうではない.読者を飽きさせないような具体例を多数準備してくれている.そうして具体例に触れることで,定理の使い方だけでなく,その意味するところを十全に理解できるようになっている.数学科以外の理系の学生にとってはこういう工夫が大変ありがたい.

高校数学との連続性を大事にしてくれているのも筆者の優しさであろう.僕が出会ってきた大学の理系教員は,高校との連続性に無頓着な人が多かったように思う.人によっては,高校までの勉学を「投げ捨てるべきはしご」のような言い方をする人もいて,明らかに不連続面を作ってやろうという意図が見えた.高校までの勉強=偽物,大学での学問=本物というよくわからない図式に拘泥する者もいたと思う.抽象化して語らねば意味がないという病的な信念に貫かれた人間にも出会った.これは高尚さの叩き売りであり,全く粋ではない.こういったものにシンパシーを感じる学生も中にはいると思うが,大半の学生にとっては不幸でしかない.いよいよ学問の世界に飛び込めることに胸を高鳴らせている学生のやる気をへし折ってしまうことにしかならないからだ.
本書のあとがきに次のような記述がある.

 

日本の高校の微積分はたいへんよいものだと思う.この知識をフルに利用しなければもったいない.もちろん高校微積分には限界もある.第一に扱うことがらがかなり限られている.第二にそのまま大学微積分に進むのには,論理的に不完全な部分が多い.そこで私はまえがきに書いたように,高校微積分を活かし,しかも自然な形でその欠落部分がおぎなえるような叙述法を採用した.

 

高校数学へのリスペクトを欠かさず,穏やかにその限界を指摘し,大学へつなげようとしている.高校までの勉強の延長上に大学数学の道はあるのだから迷わず進んでよい,と言ってくれているようでもある.教育力の本当に高い人なのだなあ,と感嘆する.

随所に配置されたノートがまたいい味を出している.筆者の一言コメントのようなもので,話の大筋とは関係ないために読み飛ばしても一向に差支えはないのだが,読み飛ばすのはいささかもったいない.ここにはアドバイスや重要な概念がさらりと書かれていたりする.

 

原始関数を初等関数の形で求めるのは,一般的にそれほど意味のあることではない.技法に凝ってはならない.

 

曲線y=f(x)のグラフをちょっと傾けると,極大や極小は変わってしまう.しかし,変曲点や凹凸は変わらない.すなわち,変曲点や凹凸は曲線に内在する(座標に無関係な)概念であり,曲線の研究にとって本質的な意味をもつ. 

 

直観を頼りにしながら,数学的厳密性をぎりぎりまで追求しようとする絶妙なバランスが随所に垣間見られる.本書を超える初学者向けの微分積分学の本はそれほど多くはない.