安楽椅子のモノローグ

完全なる頭でっかちを目指す

中国行きのスロウ・ボート―埃さえ払えばまだ食べられる

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

 

 小学校1年生のとき,同じクラスに中国人の男の子がいた.ある日の夕方,遊び終わって帰ろうかという時に彼はおもむろに僕に手を差し出した.
「飴あげるよ」と彼は言った.「ぼくがいちばんおいしいと思う飴なんだ」
彼の手のひらには龍角散のど飴が乗っていた.僕は彼の手から飴を受け取り,包み紙を剥がして口に入れた.途端に,生薬の凄まじい匂いと奇妙な甘さが僕の口をいっぱいにした.猛烈な吐き気と吐き出したい欲求が僕を襲った.のど飴を食べるのは初めてだったのだ.
「おいしいだろう」とにこにこして彼は言った.
僕は最初、彼が冗談でも言っているのだろうと思ったが,そうではなかった.
「僕のお父さんも大好きなんだ」やはりにこにこしながら彼は言った.
「友情のしるしに」彼はそう締めくくって振り返り,家に帰っていった.
僕もくるりと振り返り猛ダッシュで走り出した.そして,勢いよくのど飴を道端に向けて吐き出した.彼には悪いと思ったがどうしても耐えることができなかった.
翌日彼は学校に来なかった.僕は飴を吐き出した姿を彼に見られたのではないかと思ってビクビクしていた.それに彼が傷ついて学校を休んでしまったのではないか.
しかし,それは僕の思い過ごしだった.
彼は転校していたのだ.とても唐突に.
それ以来僕は彼に会っていない.

 

 優れたタイトルの小説がすべて優れているというわけではないが,優れた作品のタイトルは例外なく優れている.というわけで,優れたタイトルの本はすべて読むべしというのが僕の信条である.それは結局,目を引くほとんどすべての本を読むということに他ならない.やれやれだ.

 村上春樹の処女短編集は,最高の短編集である.ちなみに今僕の手元にある『中国行きのスロウ・ボート』を見てみると,改版27刷発行とある.これはもう時代を超えて読み継がれているといってよいほどの作品だろう.村上春樹好きのほとんどがこの短編集を好きな作品に挙げるのではないだろうかと(僕は勝手に)思っているが,もし読んだことがないのであれば,いますぐ本屋に駆け込むか,ネットで取り寄せるかして読んだほうがよい.あなたの読書人生はきっと大きく変わるでしょう.

 表題作を含めて,全部で7つの短編が含まれた本作は村上春樹の可能性がすべて凝縮されている.しかも,作品のテイストはすべて異なり,必ずどれかひとつは好きな作品に出会うことができるだろう.現在でもそうだが,村上春樹の文章は驚くほどのウイットとユーモアに富んでいる.筋書きなどはあまり気にせず,文章の1行1行に醸し出される味わいを楽しむのがよいと思う.

 僕のお気に入りは表題作にもなっている「中国行きのスロウ・ボート」だ.これまでにも幾度となく読み返してきた.

 

死について考えることは、少なくとも僕にとっては、ひどく茫漠とした作業だ。そして死はなぜかしら僕に、中国人のことを思い出させる。

 

 僕は最近、中国についてもっと知るべきなのではないかと思っている.広辺無比な小宇宙のごとき領土.そこで繰り広げられるのは,太古の昔から殺戮と血の臭いに彩られた壮大なドラマだった.世界史の中心をいつまでも譲らない国.

 主人公はある中国人との出会いを太平洋戦争における日本兵とアメリカ兵の邂逅になぞらえて次のようなエピソードを引いている.

 

原隊をはぐれた二人の兵士はジャングルの中の空地でぱったりと鉢あわせしてしまった。双方が銃をかまえる余裕もなくただ茫然としている時、一人の兵士(どちらだったか?)が突然二本指をあげてボーイ・スカウト式敬礼をした。相手の兵士も反射的に二本指をあげてボーイ・スカウト式の答礼をした。そして二人は銃を下げたまま、黙ってお互いの原隊へと戻っていった。

 

 誰にだって自らにとっての中国人がいるだろう.上のアメリカ兵と日本兵のような瞬間的なすれ違いに過ぎないような出会いというのがある.しかし,決してそれは忘れられない。

 ところで,僕が人生で初めて出会った中国人の男の子は今どうしているのだろう?彼と僕の出会いもまさに二人の兵士の邂逅のようではなかっただろうか.人生の半分を迎えようとする僕は,もし彼と再会したら何と声をかけるだろうか?

 

きっと僕はこう言うだろう.

「大丈夫、埃さえ払えばまだ食べられる」