安楽椅子のモノローグ

完全なる頭でっかちを目指す

ソラリス―秋の夜長に知的に打ちのめされる

今週のお題「読書の秋」

 

  巨匠スタニスワフ・レムの数ある著作の中でも,とりわけ人気の高い作品であり,言うまでもなくSF界の頂点に君臨する不朽の名作である.

 地球外生命体とのコンタクトと書いてしまえば,SFに明るくない読者は,何だそのベタすぎるテーマは,と揶揄するかもしれない.あまりにもSFっぽすぎるし,しかも古典とくれば,これが面白いわけがないと思われるかもしれない.僕も以前はそう思っていた.『エイリアン』のようなものに違いなく,現代的視点からすれば,古びた,その骨董的価値のためだけに参照される作品だと.

 しかし,この考えは大きな誤りであることを強調しておこう.もしも,一昔前の僕のような考えによって,『ソラリス』を敬遠している読者がいるとすれば,それは非常に不幸な思い違いをしていることになる.そのような方は,即刻本書を手に取り,騙されたと思って自室に籠り,熟読するべきである.むせび泣くだろう.あまりの衝撃に.

 地球外生命体とのコンタクト.確かに,それは使い古されたテーマであるに違いない.ところが,それが如何に古臭いものであっても,レムの知性にかかればこれほどまでに深遠で哲学的な問いかけを孕んだ作品に昇華されてしまうのである.いったい,レムの脳髄はどうなっているのか.いったい,どんなふうにニューロンが相互作用を起こしたらこれほどの思弁と想像力を統合することが可能となるのか.羨ましいのではない.ここまでくると空恐ろしくなるのである.これは狂気とどう違うだろう.

 物語は唐突に始まる.惑星ソラリスの謎を解明するために送り込まれた心理学者ケルヴィン.彼は先にソラリスで探索を行なっている研究者らと接触を試みるが,彼らの様子がおかしい.しかもそのうちの一人はすでに自殺してしまっている.彼らの身に何が起きたのか.そして,ソラリスを埋め尽くす広大な「海」.それは本当に意思を持っているのか.ハリーが現前する.ケルヴィンの昔の恋人.しかし,彼女は死んだはずではなかったか.「海」は彼らに何を語りかけようとしているのか.

 驚異的なのは,「海」についての研究の歴史が克明に語られていくことだ.それは本書の半分を占めるといってもよいほどの分量で描写される.試しに,気まぐれに開いたページにおける「海」についての記述を引用してみよう.

 

 特に強烈な光の効果を生み出すのは,青い日の日中か日没の直前に現れた対称体である.そんなとき,この惑星は見る見るうちに容積を倍増させて,もう一つ別の惑星を生み出そうとしているのではないか,という印象さえ受ける.きらめきに包まれた球体が底から浮き上がるやいなや,その頂点のあたりで破裂し,いくつもの垂直な部分に分かれるのだが,崩れ去ってしまうわけではない.「花萼(かがく)段階」という,あまり適切ではない名前で呼ばれるこの時期は,ほんの数秒しか続かない.・・・(中略)・・・そこでは巨大多結晶化を通じて,支軸となるボルトのような部分が現れる.それはときに「脊柱」と呼ばれることがあるが,私自身はその用語の熱狂的な支持者ではない.この中心部の支柱の危険きわまりない建築物は,深さが一キロメートルもある窪みからひっきりなしに噴き出てくる,薄められてほとんど水のようなゼリー状物質でできた垂直の何本もの柱にin statu nascendi[誕生の状態において]支えられているのだ.

 

 はっきり言って,僕にはここに書かれていることのイメージを追うことはとても難しい.これは描写のほんの一部であり,これが延々と続いていく.あまりにも衒学的で,細部に執拗にこだわる描写に辟易とする読者もいるかもしれないが,なにせ相手がスタニスワフ・レムなのだ.そこはご容赦願いたい.

 戦う読書になるかもしれない.いや,読書とは常に戦いなのかもしれないな,と僕はSFを読むときはいつもそう思う.高度な知性が手加減なく紡ぎ出す溢れるイメージは激しい強度で読者に戦いを挑んでくる.

 それでも読むことをやめないで欲しい.人類最高の知性の描く物語とはどのようなものかを余すところなく体感できる.疲れてぼろぼろになって,知的に打ちのめされて,しかし最後には感動できる読書体験というのも,ときにはよい.

 秋の夜長にぴったりである.