安楽椅子のモノローグ

完全なる頭でっかちを目指す

ふくろうくん-うたえなくなったうた

今週のお題「読書の秋」

 絵本というのは、子どものためだけのものでは決してない。むしろ、大人に対しての方が親和性の高い絵本というのもある。今回紹介する『ふくろうくん』は、まさに大人であるすべての人に読んでもらいたいと思う名作である。 

ふくろうくん (ミセスこどもの本)

ふくろうくん (ミセスこどもの本)

 

 アーノルド・ローベル三木卓もわざわざ紹介する必要もないほど有名な作家なので、この二人の名前が表紙に刻印されている本がはずれのわけがない。今回は、二人の紹介は置いておくとして、作品のみについて語ろう。

 本作品には「ふくろうくん」しか出てこない。たった一人で孤独に暮らす「ふくろうくん」の生活が描かれる。「ふくろうくん」はかなりのおっちょこちょいなのだが、だからといって、この作品が笑いに溢れているかというとそうではない。確かにユーモアには溢れているが、その底流には、そこはかとないもの悲しさが流れているのである。ではその悲しさに涙が溢れ出るかというとそうでもない。何だかむずがゆいような悲しさなのである。そして救いがある。

 何だかよくわからない紹介だなあ、と思われるだろう。しかし、そうとしか言いようがないのだ。このよくわからなさこそ『ふくろうくん』の醍醐味である。ほとんど詩を読んでいるような気分とでも言えばよりわかるだろうか。「ふくろうくん」の紡ぎ出す一言ひとことは、高尚な詩よりもよほど詩的情緒に溢れている。

 

本作品には

おきゃくさま

こんもりおやま

なみだのおちゃ

うえとした

おつきさま

という5つの短いお話が収録されている。

 

おきゃくさま

 冬のある日、玄関をたたく音がする。開けてみると誰もいない。外では雪が激しく降っている。ホラーではない。戸を叩くのは風の仕業なのだ。そして「ふくろうくん」はこう言う。
「ははあ、かわいそうな ふゆが ぼくんちの げんかん たたいてたんだな。きっと だんろの そばに すわりたいんだよ。じゃあ いいよ、ふゆを いれて あげようっと。」 この後どうなるかは作品を読んでのお楽しみ。

 

こんもりおやま

 ある日、ベッドのなかで「ふくろうくん」は毛布のしたにふたつのこんもりおやまを見つける。毛布を持ち上げて中をのぞくと真っ暗で何も見えない。だが、毛布をかけると確かにそれは存在する。もちろんただの足である。しかし、「ふくろうくん」はそのことに思い至らない。気になって気になってどうしようもなくなる。
さて、「ふくろうくん」はどうやってそれを解決したでしょう?

 

なみだのおちゃ

冒頭衝撃的な一言で話が始まる。
「ぼく こんばん なみだで おちゃを いれようっと。」
痺れる言葉だ。いったいどんな感性がこんな言葉を吐き出せるのか。なみだのおちゃを入れる方法がまたとてつもなく洒落ている。6つの中で最も悲しさとユーモアに溢れた傑作。

 

うえとした

「ふくろうくん」はうえとしたに同時に存在したいと思った。1階にいながらにして2階にあることを望んだ。彼は走る。走りまくる。そしてついには驚愕するほどの哲学的結論に至るのだった。ところで、『ぼくは12歳』という詩集をご存知だろうか。 

新編 ぼくは12歳 (ちくま文庫)

新編 ぼくは12歳 (ちくま文庫)

 

 今日のメインは『ふくろうくん』なので、あえて語らない(そのうち紹介する)が、僕はこの詩集に頭をかち割られるほどの衝撃を受けた経験がある。しかし、このうえとしたが僕に与えた衝撃はそれに勝るとも劣らないものであった。

 

おつきさま

「ねえ おつきさま ぼくが きみを みているんだからね、きみも ぼくを みなさいよ。おともだちに ならなくちゃ ぼくたち。」
「ふくろうくん」はおつきさまと友達になることができると思いますか? 最後を締めくくるにふさわしいほっこりと優しいお話である。

 

 秋の夜は長い。だからこそ長い作品を読むというのもよい。でも、あえて絵本を読んでみるというのはどうだろうか。とても短い作品ばかりだから読む時間は大してとらない。けれど、読後には考えさせられることがたくさんある。作品は短く、思索は長く。せっかくの秋の夜長の1日くらいはそんな贅沢な使い方があってもよい。