安楽椅子のモノローグ

完全なる頭でっかちを目指す

阿・吽ー具現化されるエネルギー

阿・吽 1 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

阿・吽 1 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

 

  阿・吽。万物の始原と終わり、あるいは理と智。それは吸う息と吐く息でもある。ひとつの呼吸のその刹那の中にさえ、真理は宿るということであろうか。僕らは生まれてすぐに泣く。とすれば、僕らは生まれ出たその瞬間に、すでに真理を口ずさんでいることにもなろう。あるいはそのようにして僕らの中から漏れ出た真理を再び探し求めるために、人生は存在するのかもしれない。

 今年の3月は馬鹿みたいに漫画ばかり読んでいた。人生でこれほど漫画を読んだのは、小中学生以来かもしれない。それほど暇だったのだ。僕はあまり漫画という媒体を積極的に読むほうではなかった、と思う。なぜかというと、漫画はどうしても巻数がかさばり、収集しようとすると、すぐに家の中が飽和状態になってしまうからだ。僕はある日を境に(いつだったかはもう覚えていない)漫画を集めるのをやめてしまった。そして、それまで集めていた漫画をすべて売りさばくか捨てるかしてしまった。僕は、シンプルな生活に憧れていたのだ。そしてシンプルな生活は今も変わらない。

 そんな僕がどうして再び漫画を読むようになったかというと、電子書籍の登場によるところが大きい。電子書籍だとかさばることがない。たとえ巻数が20巻を超えようが、30巻を超えようが家の中が圧迫されることはないのだ。素晴らしい時代である。僕の漫画熱は再燃し燃えたぎっている最中だ。それに加えて恐るべき才能をもった漫画家が百花繚乱の様相を呈する時代でもある。世の中が面白い漫画に溢れかえっているいま、漫画を読まないという選択肢を固く守り抜くことは僕にはできない。

 阿・吽は、最澄空海、平安仏教の開祖である二人を主人公とする漫画だ。仏教の話、と聞いてすぐにそれはめちゃくちゃおもしろそうだ! となる人はそうはいまい。少なくとも僕は最初、歴史教育本めいたものか、と高をくくっていて、決してどきどきわくわくするようなことはないだろうなと、ちょっとナメていた節がある。だが、実際に表紙を見たときに、「あ、これはちがうな」とピンときた。僕の野生の勘は大概はずれるが、このときばかりはそうではなかった。最初から度肝を抜かれる。ストーリー展開のうまさもさることながら、芸術的なまでに美しい絵であるはずなのに、それが鬼のような迫力で迫ってくる。構図も大胆だ。コマのひとつひとつが生き物のような印象を受ける。あるコマが他のコマを侵食していくような、流動性をもった生き物のように柔らかい。とにかく画力がヤバイのだ。

 最澄空海。まったくタイプの違う二人が、何に苦悩し、何に怒り、何を諦め、何を欲し、彼らの仏教を作り上げたのか。彼らの内面が現前してくる。おかざき真里の手によって。おかざき真里は具象化の天才かもしれない。彼女の手にかかれば、すべての事物に形を与えることが可能だろう。平安仏教という、現在のすべての仏教のひな形とでもいうべき仏教を開いた、最澄空海の二人のエネルギーがすべて具現し、僕らの眼前に迫ってくる。熱い。とてつもなく熱い作品だ。

 コミックは現在、第6集まで刊行されている。唐の地で二人が何を手に入れたのか、そして今後、二人の進む道はどのように異なっていくのか。展開が気になるところまでだ。連載をあえて追ってはいない。コミックになってまとめ読みしたいから。ああ、はやく第7集でてくれ! 未読の方はぜひ読んでみてください。軽く時空を超えられます。長安行きてー。

 僕は本書を読み、経典が好きになり過ぎて、写経に行く段取りを立てているところです。
 平安仏教勉強しよう。