安楽椅子のモノローグ

完全なる頭でっかちを目指す

ボクたちはみんな大人になれなかった-1999年地球は滅亡しなかった

ボクたちはみんな大人になれなかった

ボクたちはみんな大人になれなかった

 

  この本を手に入れるのにかなりの時間がかかった。ネットで注文してから、発送までにこんなに時間がかかったのは初めての経験だった。各方面で話題沸騰だということは知っていた。予約が殺到していることも当たり前のように承知していた。だから、結構早い段階で予約していたはずだった。「言うても、こんだけ早く予約しとけば楽勝で手に入るっしょ」と余裕をぶっこいていた。

 

 ・・・来ないぞ。いつまでたっても来ない。しかも、今から20日以内に入手できなければいったん予約を取り消すと言われた。どういうことだよ! おい! どうして手に入らないんだ。僕は、近所の書店へと向かった。もう発売日を過ぎている。きっと山積みされているはずだ。・・・ない。どこにもない! ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! どうしてだ! どうして売り切れなんだ! 何らかの呪いが発動しているのではないかと、僕は訝った。若い頃に犯した悪い出来事の数々が僕の脳裏を横切っていった。誰の呪いだ。俺は『ボクたちはみんな大人になれなかった』を買えない呪いにかかってしまったのか。お寺に行って祓ってもらわねばならない。本気でそう思った。精神不安定の日々が続いた。

 

 俺はもうダメだろう。俺は狂おしいほど『ボクたちはみんな大人になれなかった』を求めた。だのに手に入らない。きっと衰弱して死ぬだろう。ほとんど死にかけていたその時、インターフォンが鳴った。玄関を開けると佐川急便のおばちゃんがそこにいた。おばちゃんの手には本と思しき荷物が握られていた。僕はそのとき、いつもよく見る佐川急便のおばちゃんが救世主のように見えた。

 

 いささか脚色されているとはいえ、上に書かれてあることはすべて真実である。こんなに入手するのに時間がかかった本はこれまでない。僕は地方都市に住んでいることを心底後悔した。まあ、愚痴はこれくらいにしておこう。今では待ったことを感謝してすらいる。貪るような読書というのを久しぶりにすることができた。1時間もかからないくらいの怒涛のスピードで僕は読み上げた。読書に飢えていたのは確かだが、それ以上にこの本のリーダビリティが圧倒的だったためだ。こんなすごい小説だったとは。そりゃあ、売り切れ続出の理由もわかる。

 

 糸井重里が褒めている。吉岡里帆が褒めている。大根仁が褒めている。小沢一敬が褒めている。堀江貴文が褒めている。会田誠が褒めている。樋口毅宏が褒めている。二村ヒトシが褒めている。古賀史健が褒めている。

 

 褒められてばっかりじゃねぇか。誰か、けなす奴いねぇのかよ! ツッコミを入れたくなる気持ちはわかる。こういう本は気をつけた方がいい。僕はかなり警戒しながらページをめくった。

 

最愛のブスに“友達リクエストが送信されました”

 

やられた! すでにこの台詞にやられた! そこから進む、進む。世界は僕と『ボクたちはみんな大人になれなかった』しか存在しないような静寂に包まれた。めくる、めくる。ページをめくる手が止まらない。叙情の連続だ。僕は詩を読んでいるのか? それとも音楽を聴いているのか? 何だこれは? こんな感覚初めてだ。切ない。やりきれない。平凡な日常だ、なのに何だろう、この胸をえぐられるような感情は。

 

 ここには青春がある。きっとここに書かれているような青春を体験した人もいるだろう。僕はこんな青春を体験したわけではない。だけど、痛いほど主人公の気持ちが響いてくる。本書には青春の色と香りがそこかしこに満ちているのだ。本書自体が青春の比喩と言ってもよい。

 

「キミは大丈夫だよ、おもしろいもん」
どんな電話でも最後の言葉は、それだった。彼女は、学歴もない、手に職もない、ただの使いっぱしりで、社会の数にもカウントされていなかったボクを承認してくれた人だった。あの時、彼女に毎日をフォローされ、生きることを承認されることで、ボクは生きがいを感じることができたんだ。いや今日まで、彼女からもらったその生きがいで、ボクは頑張っても微動だにしない日常を、この東京でなんとか踏ん張ってこられた。

 

 東京の部分は何でもよい。何にだって変えられる。こんな風に踏ん張って生きる「ボク」は僕であり、あなたである。これは僕たちみんなの物語だ。

 

はっきりと断言しましょう。泣けます。