安楽椅子のモノローグ

完全なる頭でっかちを目指す

メフィスト賞の軌跡―その2 清涼院流水

 【あらすじ】
『今年、1200個の密室で、1200人が殺される。誰にも止めることはできない』―1994年が始まったまさにその瞬間、前代未聞の犯罪予告状が、「密室卿」を名のる正体不明の人物によって送りつけられる。1年間―365日で1200人を殺そうと思えば、一日に最低3人は殺さねばならない。だが、1200年もの間、誰にも解かれることのなかった密室の秘密を知ると豪語する「密室卿」は、それをいともたやすく敢行し、全国で不可解な密室殺人が続発する。現場はきまって密室。被害者はそこで首を斬られて殺され、その背中には、被害者自身の血で『密室』の文字が記されている…。

 

 新しすぎる小説だ、と思った。分厚いのは、当時の流行だったとしても、内容が斬新すぎる。

 

犯罪予告状/今年、一二〇〇個の密室で、一二〇〇人が殺される。誰にも止めることはできない/密室卿

 

 次から次へと密室殺人が起こる。これだけでも斬新だった。しかも、すべてが衆人環境での出来事である。ある意味完全無欠の密室。しかも、密室卿の殺人は常に完璧である。誰ひとり目撃者はいない。いつの間にか、だが、確実に、狙われた者は命を奪われる。怒涛の展開に読者は???の連続だ。今までミステリを読んで、これほどクエスチョンマークが頭の中を駆け巡った経験はなかった。風呂敷を広げ過ぎだ、と作者に忠告したくなるほどの破天荒な展開が続く。途中からは、「これ本当に終わるの?」と不安になってくる。

 

 だが、作者の追い討ちは終わらない。圧巻なのは、半分を超えてからなのだ。JDC(日本探偵組織)という存在が明らかにされる。そこに集うのは、超絶能力を有する探偵ばかり。この能力というのがまた人を食っている。そんな能力あるか!と必ず心の中で叫ぶだろう。例えば、鴉城蒼司(あじろそうじ)。彼は集中考疑という能力で、一瞬で事件を解決してしまう。例えば、九十九十九(つくもじゅうく)。彼の神通理気は、事件の手がかりがすべて揃うと、一瞬にして事件の真相を知る能力である。何を言っているかお分かりになるだろうか。いや、分からなくともよい。ともかく、もはやこの作者は、話を無事に終わらせる気はないのだろうな、と諦めにも似た心境で読者はページを繰ることとなるだろう。挙句の果てに、「読者への挑戦状」とくる。悪ふざけもいい加減にしろとたしなめたくなる気持ちがふつふつと湧きあがってくる。

 

 では、結末はというと、これがまた、賛否両論、毀誉褒貶の嵐なのだった。傑作、名作、快作、怪作、凡作、駄作、死ね。およそ作品というものに対するあらゆる賛辞と侮蔑の言葉がほうぼうから巻き起こった。天才だの、狂人だの、作者に投げかけられる言葉もとにかく色々だった。僕は作者の擁護も批判もしていない。正確にはどちらもできなかったのである。僕は思考を整理することができなかった。「俺は一体何を読まされたんだ…」と呆然とし、思考停止状態になってしまっていたからである。

 

 普通の小説でないのは、もちろんわかっていた。だが、物語の収束のさせ方が半端ない。予想をはるかに上回る。予想のななめ上などという生易しい言葉では表現してもしつくせない。エベレスト並みに高い位置に清涼院流水の思考は存在する。解はすべて提示された、にもかかわらず、読者はそれを信じることができないだろう。これがミステリ小説…だと?

 

 いや違う。清涼院流水がきっぱりと言い放っているではないか、これは小説ではない。「流水大説」なのだ、と。ここまでくるともう…、ね。作者の感性に脱帽するしかないのだ。清涼院流水って天才じゃね? と誰もが思ってしまう。事実、天才であろう。

 

 21世紀最初の京都大学中退者であり、作家の英語圏進出プロジェクト「The BBB」の主宰であり、TOEIC満点ホルダーであり、いつの間にか僕の知らないうちに英語教育者としても名を馳せている。これを天才と言わずしてなんと言おう。清涼院流水は、いわゆる、author’s authorなのである。事実、芦辺拓我孫子武丸綾辻行人有栖川有栖笠井潔北村薫京極夏彦倉知淳篠田真由美二階堂黎人貫井徳郎法月綸太郎麻耶雄嵩山口雅也などの名だたるミステリ作家が、当時みんなして朝まで清涼院流水について語り合ったというではないか。

 

 今回、久しぶりに、メフィスト賞受賞作である『コズミック』を読み直してみたが、今でもやはり新しすぎる、というのが僕の感想だ。清涼院流水は時代を振り切っていたが、未だに振り切り続けている。この「大説家」の疾走が古びたと言えるときは、人類滅亡の瞬間まできっとこないだろうと、僕は心の底からそう思う。

 

 ちなみに今までのレビューはこちら。