安楽椅子のモノローグ

完全なる頭でっかちを目指す

噂―作品に隠されたもうひとつの仕掛け

噂 (新潮文庫)

噂 (新潮文庫)

 

  【あらすじ】
 「レインマンが出没して、女のコの足首を切っちゃうんだ。でもね、ミリエルをつけてると狙われないんだって」。香水の新ブランドを売り出すため、渋谷でモニターの女子高生がスカウトされた。口コミを利用し、噂を広めるのが狙いだった。販売戦略どおり、噂は都市伝説化し、香水は大ヒットするが、やがて噂は現実となり、足首のない少女の遺体が発見された。衝撃の結末を迎えるサイコ・サスペンス。

 

 萩原浩『噂』はミステリ史上、最高傑作のサイコ・サスペンスのひとつである。

 

 新製品の香水を売るために、企画会社によって渋谷の女子高生の間に噂が流される。香水をつけていると3か月以内に恋愛が成就する。ニューヨークには「レインマン」という殺人鬼がいて、女子高生を殺しなぜか足首を切り落とす。「レインマン」は日本にも出没するらしいが、香水をつけていると襲われない。こういった、いかにもありがちな噂が、女子高生の口コミでどんどん広まっていく。しかし、「レインマン」の噂は、ある日現実の事件となり…。

 

 こういった販売戦略が実際にあるかどうかは、僕は知らないが、きっとあるのだろう。作者の荻原浩が、広告代理店勤務経験者ということを考えれば、萩原の体験をもとにしたものなのかもしれない。確かに、都市伝説の伝播力の強さ、女子高生の情報網の広さなどを考えると、こういった戦略は現実のものとしてあっても何らおかしくはない、と思わせる。僕は、都市伝説が実際に起こるという作品を見ると、必ず読みたくなる。怪談、ホラー、都市伝説、陰謀論は大好物なのだ。

 

 殺人鬼「レインマン」を追い詰める刑事は二人いる。くたびれてドロップアウト気味のベテラン刑事・小暮と本庁強行斑係の美人女刑事・名島のコンビである。上司の方が若く、部下の方が年寄というのは現実的にありそうだ。小暮はとまどいながらも、名島の才能を見抜きサポートしていく。
 二人には、どこかしら似通った境遇がある。小暮はシングルファーザー、名島はシングルマザーである。小暮は女子高生の娘・菜摘を男手ひとつで育てるために捜査一課を退いた経歴がある。小暮と菜摘のやり取りが作中ではよく出てくるが、懸命に生きる家族の姿が絶妙に描き出されていて、よい。
 一方の名島は、若くして警部補に昇進しているが、これにはいろいろなわけがある。名島には五歳の男の子がおり、やはりたくましく二人で生きている。
 小暮と名島、この名コンビが捜査以外で親交を深めていく様子も見物だ。人物の細かなディテールまで手を抜くことなく描写しており、人物像がくっきりと浮かび上がってくる。

 

 企画会社コムサイトの美貌の女社長・杖村沙耶とナンバー2である麻生。コムサイト社に翻弄される広告代理店の加藤と西崎。その他、キャラの立った登場人物が色々と出てくる。ストーリー展開は、警察、「レインマン」、コムサイト関係者とそれぞれの視点が移り変わりながら進んでいくというオーソドックスな展開だが、最初から最後まで息をつかせぬストーリーで読者はあっという間に読了してしまうだろう。

 

 ・・・閑話休題

 

 だが、しかしだ。『噂』は単なるシリアル・サイコ・キラーを追い詰めるだけの小説ではない。実は作者は、非常に巧妙にもう一つの仕掛けを用意している。この仕掛けはあまりに巧妙すぎて、さらっと読んでしまうと見逃す可能性が高い。読者の方々は、この仕掛けに気づくことができる(できた)だろうか? 僕は最初読んだとき、しばらく気づくことができなかった。でも、どうしても気になる台詞がひとつあって、それを読み返してみて初めてぞっとしたのだった。まさに、世界が反転する、あの感覚である。自分の中の心象が一瞬にして様変わりする体験。優れた書き手だけが読者にもたらすことのできる衝撃。それが最後の最後に訪れる。そのとき、『噂』が、こんなにも恐ろしい小説だったということを初めて知らされるのである。そしてもう一度読み返してみると、それまでとは全く違う風景が現前する仕掛けとなっている。読者は、そう、裏切りにも似た気持ちを味わうだろう。

 

 もっと話題になってもよかった小説である。恐らくは、仕掛けの巧妙さがそれを困難にしてしまった。自分が騙されていることに、最後まで気づかない小説なのだ。親切な他人からタネを明かされてようやく気づくこととなる。荻原浩の上手さが、上手すぎて、読む者が心底騙されてしまうのである。そのあたりが、幸か不幸か、なかなか評価しづらい作品でもある。

 

 僕は、とても親切な人間なので、読者にはひとつ忠告しておく。登場人物の台詞をひとつたりとも読み逃してはならない。でないと、この小説の真髄を味わわないままに終わってしまうだろう。万が一、気づかずとも十分な読後感を得られる作品なので、気づかないからといって問題はない。いや、むしろ知らぬが仏なのかもしれない。が、怖いものをぜひ見てみたいという方は、穴があくまで紙面を見て、登場人物の台詞を細大漏らさず心にとどめておくのがいいと思う。

 

 最後に、作品に出てくるJKの会話に触発されて僕もJKの会話を考えてみた。

 

「え、なに? 好きピからLINE?」

「うん? 違え。弟から。あ、そういや、こいつあんたに気があるらしいよ」

「マ!?」

「マ。めっちゃタイプらしい」

「うっそおー。 ゲロはげる」

「どうよ?」

「うーん。ありよりのなしかな」

「ありよりのなしかよ。あ、そういやあのダークマター

「あ、うちの隣の席のデブのこと?」

「あいつ授業中あんたのことずっと見てたよ」

「マ!?」

「マ、マ、マ」

「きもさぶ」

 

僕には文才がないですね。残念!