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メフィスト賞の軌跡―その7 新堂冬樹

ゴードン・ドライ・ジンもロンリコ・ホワイトも、洒落たカクテルにしては貰えず、私に生(き)のまま飲まれていた。今度はヘルメス・アブサンが、消毒液の代わりにさせられようとしていた。 

 [新堂冬樹]の血塗られた神話 (幻冬舎文庫)

【あらすじ】
 債務者への過酷な徴収から「悪魔」と呼ばれた街金融の経営者・野田秋人の元に、ある日、惨殺された新規客の肉片が届いた。調査を始めた野田に、客を自殺に追い込んだ五年前の記憶が蘇る。そして、事件の影に浮かび上がる、かつて愛した女の名。惨殺は野田に対する復讐の始まりなのか――。金融界に身を置いていた著者のリアリティー溢れる衝撃作。

 

 新堂冬樹といえば、もはや暗黒小説の押しも押されもせぬ大家となった感がある。デビューがメフィスト賞だったいうのは意外だ。この頃のメフィスト賞は、前回までの記事でも書いたように、圧倒的なキワモノ感が強かったのだが、新堂冬樹の受賞で、そういうものばかり受賞させる気でもない、ということがはっきりした。新堂冬樹の受賞は、メフィスト賞にとっての、ひとつの新たな方向性を示したものともいえる。

 

 金融関係で働いていた経歴があるため、本作『血塗られた神話』は、かなりのリアリティを感じさせるような小説に仕上がっている。人間の描き方が、上手い。一人ひとりの人間たちが没個性ではなく、キャラが立っていて、すんなりと人物像が頭の中に入ってくる。さらに、人間のどす黒い欲望や、一筋縄ではいかない者同士の微妙な駆け引きとか、耐え難い後悔の念とか、そういった決して綺麗ではない部分をこれでもかというくらいしっかりと描ききっている。たまらないのは、ミステリ色もきちんと取り入れてくれているところで、本作には、ハウダニット的な要素はさすがにないものの、なぜこのような事件が起きてしまったのかについてのホワイダニット、一体誰が黒幕なのかについてのフーダニット的な要素があって、謎を解く楽しみも味わうことができる。
 初めから終わりまで怒涛の展開が続く。読者は一息たりともつけずに、ページをめくり続けることになるだろう。事態は二転三転、敵味方入り乱れ、興奮冷めやらぬまま物語が一気に終盤まで駆け抜けていく。ハードボイルド感も満載で、ページのそこかしこに紫煙ときついアルコールの匂いが漂っているような錯覚に陥る小説だ。アクションもある。不慣れな読者はあまりの痛みに顔をしかめるかもしれない。エンタテインメント要素が必要十分に配合された、ノンストップハードボイルドノワールサスペンス(こんな冗長な言い方あるかな?)なのである。

 

 かつて「悪魔」と称されていた男・野田秋人の経営する消費者金融の客の男が、ある日殺される。さらに、殺された男のものと思しき肉片が野田の元に届けられた。
 野田には、忘れられない事件があった。5年前に彼の店の客だった男が自殺したのだ。彼はその事件をきっかけに愛する女をひとり置き去りにして、その女のもとを去ってしまった。それは野田にとってのトラウマである。今回の事件は野田に恨みをもつものの犯行なのか? 5年前の記憶と現在がオーバーラップする。警察は野田を疑うが、野田は事件の背後に復讐の匂いを感じとり、独自に調査を始めていく…。

 

 単純に事件が進んでいくだけではない。事件は過去と現在を結びつける役割をしている。共時的な視点と通時的な視点の両方から事件が、そして野田という男とその関係者たちの輪郭が、どんどん浮き彫りになってくる。この野田の過去というのが、本作に時間的な奥行きを与えるのに成功しており、作品が立体感を得ることにもつながっている。

 

 僕は、作品を書くということに、実体験というのは、大して必要ないものだと思っているが、新堂冬樹の作品を読むと、実体験がすごく活かされていて、現場で過ごした経験がなければ書きようがない作品というのも確かにある、と思わされてしまう。特に、こういう消費者金融関係の話なんて、業界に何の関係もない人が書いても、全然現実味を持ちえないだろう。もちろん、そこに新堂冬樹の圧倒的な筆力が加わるからこそ、作品として成立するのであって、単なる経験だけで作品が書けるというわけでは決してない。

 

 新堂冬樹は、実体験を作品に落とし込む能力と、それを物語に仕立て上げる恐るべき筆力を兼ね備えた稀有な作家である。しかも、暗黒面を完全に排した純愛小説も書けるというのだからその才能たるや、いまだ計り知れない。ファンのいう、いわゆる「黒新堂」と「白新堂」であるが、みなさんはどちらがお好みだろうか。ワイン比べをするように、読み比べしてみるのもおもしろいだろう。

 

 すべての暗黒小説がそうであるように、結末は胸をえぐられるようなやるせなさと悲しみが襲ってくる。読者はティッシュペーパーを箱で用意しておいたほうがよい。でないと、涙と鼻汁で顔面が原形をとどめないほどに壊れてしまうかもしれない。あるいは、自分がどうしようもない無法者にでもなれたという勘違いを起こすかもしれない。そんな時でも決して盛り場でいきがったりしないように。ボコボコにされて終わります。

 

 作中にやたらとカブトムシの記述が詳しい箇所がある。ご存じの方も多いかと思うが、新堂は無類の昆虫好きでもある。こういうマニアぶりをちらっと垣間見せるというのが、何ともお茶目である。新堂は、作家兼コンサルタント兼芸能事務所経営者兼昆虫博士という多彩な顔を持つ異色な作家でもあるのだ。メフィスト賞は本当にいい作家を見つけてくれるが、新堂冬樹はその中でも1、2を争う才能の輝きを誇っている。

 

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