安楽椅子のモノローグ

完全なる頭でっかちを目指す

メフィスト賞の軌跡―その9 高田祟史

ある型のウイルスなどに至っては写真も無ければ、当然その姿を見たという人間はいない。しかし、その存在を疑っている科学者もいない上に、治療薬まで用意されている。この現実はどうだ? こちらの方がよほど怪異だ。

 

百人一首カルタのコレクターとして有名な、会社社長・真榊大陸(まさかきだいろく)が自宅で惨殺された。一枚の札を握りしめて……。関係者は皆アリバイがあり、事件は一見、不可能犯罪かと思われた。だが、博覧強記の薬剤師・桑原崇が百人一首に仕掛けられた謎を解いたとき、戦慄の真相が明らかに!?

 

 高田祟史のデビュー作『QED百人一首の呪(しゅ)』は紛れもない傑作である。読んだ者は唖然とするに違いない。

 

 貿易会社社長・真榊大睦が何者かに殺害される。大睦は殺害当日に幽霊を見たと家政婦に告げた。殺害された彼の手には、百人一首の手札が握られていて…。

 

 読めばわかることだが、単なる事件の謎解きではない。本作の射程はそのようなところにはないのだ。本作で解き明かされるのは、百人一首に秘められた謎である。千年以上の時を越え語り継がれる百人一首。僕はその存在はもちろん知っていたが、さほど一生懸命に読んだ覚えはなかった。気がついたときに、手に取ってちらっと目を通すくらいであった。すべての句が頭に入っているわけもなければ、今後入れる予定もない。ただ、最近は漫画『ちはやふる』の影響で、前よりも少しは真剣に目を通すようにはなったが。

 

 実は、百人一首には、隠された暗号があるのではないかという説がある。その先駆的な研究に、1978年に織田正吉が行ったものがある。彼は百人一首には、同じ語句を一首の同じ場所に持つ歌が多いことに着目した。例えば、

 

3.あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む

91.きりぎりすなくや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む

 

などである。また、織田は百人一首の連鎖関係に注目し、タテ18首、ヨコ18首の空間内に百首を配置し直して、暗号を解読しようと試みたりもしている。そうして彼は、藤原定家百人一首の編纂者とされる。当然ながら彼はまた『新古今和歌集』の選者でもある)は百人一首を通じて、後鳥羽上皇への複雑な思いと式子内親王への恋慕の情を表現したのだという結論に達したのである。

 

 その後にも、林直道が別の解釈で、百人一首の暗号を解く試みを行っている。百人一首とは、まさに1個の巨大な歴史ミステリで、上に挙げた2人以外にも多くの人々がそこに隠された暗号を読み解こうと躍起になっている。

 

 そもそも、なぜ百人「一首」なのか? 百人「百首」ではないのか?しかも、百人一首では、詠み手たちのマイナーな作品ばかりが選ばれているという(それが聞きなれた気がするのは国語の教科書で扱われているからに過ぎない)。定家があえてそうしたのはなぜなのか?百人一首の謎は尽きない。

 

 本作で高田祟史が行っているのは、まさに、百人一首の謎解きなのである。資産家殺人事件など、実際には二の次である。数学で例えれば、谷山・志村予想の解決に従い、フェルマーの最終定理が自然と解決されてしまったみたいな(わかりにくいか?)。
 しかし、高田の博識ぶりには舌を巻くばかりだ。国文学者なのか、と勘違いしてしまうほど多彩な知識が披露されている。すぐれたミステリの要素のひとつとして、衒学的要素があるが、大筋に関係ない知識をやたらと並べ立てられてしまうと、ちょっと辟易とすることがある。だが、高田の場合にはそんな気分にはならない。あくまでも百人一首にロックオンし、その謎の解明だけに向かって知識が披露されるので、いやらしさがまったくないのだ。

 

 いうまでもなく、高田の謎解きは(百人一首に対しても、事件そのものに対しても)圧巻だ。百人一首の謎解きだけですら、ちゃんとした書物になりえるほどの論が展開されているが、それをエンタテインメントにまで高めたところは、神業である。これを神業と言わずしてなんと言おう。

 

 本作の探偵役は、薬剤師である桑原祟であるが、高田祟史自身も薬学部出身である。とても薬学部出身とは思えないほど、文学的素養が満載な小説だが、僕はこういう文理の要素をあわせもった作家が大好きだ。科学と文学は相反する存在ではない、ということはもっと強調されてよいと思う。我々はともすると、「文系と理系」、「科学と文学」などといった二分法で世界を切り取ってしまいがちであるが、それらは本来渾然一体としたものなのである。

 

 高田祟史の描くミステリ小説は、我々が無意識のうちに陥っている二分法的見方から我々を解放してくれる。 

 

前回のは、こちら。