安楽椅子のモノローグ

完全なる頭でっかちを目指す

メフィスト賞の軌跡―その14 古処誠二

それは平和で結構なことだ。それが望ましいことなんだ。武力を持っているような組織は、国民から白い目で見られる必要があるんだ。

 

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【あらすじ】
 自衛隊は隊員に存在意義を見失わせる「軍隊」だった。訓練の意味は何か。組織の目標は何か。誰もが越えねばならないその壁を前にしていた一人の若い隊員は、隊長室から発見された盗聴器に初めて明確な「敵」を実感する…。自衛隊という閉鎖空間をユーモラスに描き第14回メフィスト賞を受賞したデビュー作。

 

 古処誠二『UNKNOWN』は、自衛隊の基地に仕掛けられた盗聴器を巡るミステリである。自衛隊を舞台とするという設定がすでに異色であり、それだけでも心惹かれる。ミステリとして秀逸なのはもちろんのことだが、自衛隊での生活が一体どのようなものかを感じ取ることができ、それが何だか、普段見てはいけないものを見ているような気持ちになって、ある種の背徳感を感じつつ読めるのが楽しい。

 

 自衛官といえば(僕の勝手な憶測だが)、国家の最重要軍事機密を握っている機関のひとつに違いない。そこに盗聴器が仕掛けられたとなると、これはもう、国家の存続にかかわる重大な事件であろう。こういう設定だけで、僕は胸が熱くなる。僕が国家機密に関する仕事をすることなど絶対にないが、そうであるがゆえに、こういった作品に憧れるわけである。

 

 もちろん外部犯であるはずがない。国家機密を探ろうとするのは、常に内部の人間である。そして必ず、それを調査する隠密機関が存在する。彼らはどちらも知能指数が高い。繰り広げられるのは、知能VS知能の完全なる頭脳戦だ。助手役もいる。助手はたいてい頭脳派とは程遠い存在だ。だが、直感力には優れているし、心優しい。冷静な頭脳戦には全く不向きなように見えながらも、主人公に重要な示唆を与える存在である。

 

 と、ここまで書いてきて、まるで『相棒』みたいだなと思った。読んでいるときは、全くそんなことは感じなかったが、思い返せば、たしかに『相棒』みたいな小説かもしれない。しかし、実際には『UNKNOWN』のほうが、『相棒』よりも前に発表されているので、『相棒』が『UNKNOWN』みたいなドラマなのだというほうが正しい。そう考えると、『UNKNOWN』は、『相棒』の前駆作品ということもできる。

 

 しかし、警察という設定はありがちだが、自衛隊という設定はやはり異色だ。本作品は、自衛隊での仕事の様子や生活の様子、そして官僚機構ヒエラルキーで生き残るためにもがく人間たちの様子がリアリティ豊かに描かれている。自衛隊という官僚制度の実態を描いているという意味では、自衛隊の内情を知ることのできる貴重な資料的意義も有しているといえる。

 

 突拍子もないトリックや奇想天外な仕掛けが用意されているわけではない。徹底的に現実に忠実な小説であり、あくまでも論理的に犯人のアリバイを崩し、追い詰めていく。メフィスト賞というのは、現実離れした途方もないアイデアを好む傾向がありながらも、一方で、それとは対極にあるような、リアリティ溢れる小説にもかなり好意的である。この振れ幅の広さこそがメフィスト賞の醍醐味なのだ。

 

 本作のキーワードでもあるUNKNOWNであるが、領空侵犯を犯した識別不明機のことを指している。航空自衛隊の最重要任務のひとつに、UNKNOWNを発見し、特定するというものがある。ほとんどの場合、それは旅客機などの誤認であるが、万が一という場合に備えて、必ず24時間体制でUNKNOWNを見張る隊員が配置されているという。

 

 万が一、などという事態が起こるなんて僕には想像もできないが、しかし、そのような事態を思い描き、毎日気を張って空を見張っている人たちがいるということを僕はこの小説を読んで初めて知った。それだけでもこの本を読んだ価値は十分にあるだろう。

 

 個人の人生など、体験できることはごく限られている。しかし、本を読むことで、僕らは他人の生を短時間で追体験できるのだ。こんなことは読書家には当然の事実だろうが、僕はこの事実にふと立ち返り、いつも驚いている。本を読むというのは、何も読解力を養うためとか、語彙を増やすためとか、のために行うものではない。僕らは本を読むことで、僕ら以外の誰かになることができる。もちろんそれは本だけに限ったことではない。それは映画でも漫画でも何でもよいのだが、卑近な世界に飽きたときは、想像力によって紡がれた物語を覗いてみるとよいと思う。そうすることで、自分がいかに取るに足りない世界で生きているかがよく分かる。

 

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