安楽椅子のモノローグ

完全なる頭でっかちを目指す

メフィスト賞の軌跡―その15 氷川透

コムロの曲がみんな同じだって?〔…〕むしろ興味深いのは、彼の曲って、どうやって作ったのかプロシジャが露骨に透けて見えることだよね。彼の作曲は、きわめてルーティンなパターンに則った作業にちがいない。才能もひらめきも必要ない。それにくらべて、宇多田ヒカルなんて、感覚は斬新だけど作曲の方法論そのものはものすごく伝統的だろう?

 

 

【あらすじ】
 推理小説家志望の氷川透は久々にバンド仲間と再会した。が、散会後に外で別れたはずのリーダーが地下鉄の駅構内で撲殺された。現場/人の出入りなしの閉鎖空間。容疑者/メンバー全員。新展開/仲間の自殺!?非情の論理が唸りをあげ華麗な捻り技が立て続けに炸裂する。島田荘司氏も瞠目する第15回メフィスト賞受賞作。

 

 『真っ暗な夜明け』は、大きく分ければ2つの要素をもつ小説である。

 

 ひとつはもちろん、本格ミステリ小説としての要素である。人の出入りがない閉鎖空間に限りなく等しい終電の地下鉄構内で、殺人事件が起こる。殺されたのは、かつてのバンド仲間のリーダーであり、地下鉄構内に居合わせたのは、バンドメンバーだけだった。容疑者はバンドメンバー全員だが、彼らは常に誰かが誰かを見ていた。つまり、各自が他の誰かのアリバイを証明できてしまうのだった。一体、この不可能犯罪はどのようにして成し遂げられたのか。そして、起こる第2の事件…。

 

 もうひとつは、青春ミステリとしての要素である。青春といっても、彼らの中にはすでに社会人となったものもいれば、大学院生という立場のものもいる。いわば彼らは、青春の真っ只中というよりは、青春を回顧しつつも、まだ青春から遠のきたくないという、微妙な年代にいる若者たちだ。そのような若者たちの心の内が、登場人物の視点を次々に変えていく手法によって、鮮明に描き出されていく。

 

 繰り返しになるが、本作は、How(犯罪はどのようにしてなされたのか)、Who(犯罪は誰の手によってなされたのか)、Why(そもそもその犯罪はなぜ行われねばならなかったのか)のすべてを論理的に解決できるよう描かれており、純粋に知的なゲームとして楽しむことのできる小説であると同時に、モラトリアム期にある若者たちの生態や心理を克明に描いた小説でもある。ミステリ小説としても、青春小説としても、どちらのクオリティも高い。本作は文句のつけようのないメフィスト賞受賞作である。

 

 社会人になるかならないかの時期というのは、えてして無用なほどに他人との比較をしてしまいがちな時期であり、誇大な焦燥感に苛まれがちである。就職できた奴は勝ちで、できていない奴は負けとか、あるいは、自分の好きなことをやって生きている方が勝ちで、望まない就職する方が負けとか。僕はそういった時期をだいぶ過ぎ去ってしまった中年だから、そんなことは実は些細なことなんだよ、と言ってしまいそうになるが、自分がその当事者であった頃は、やっぱりすごく悩んでいた。

 

 だからこういう作品を読むと、その頃を思い出してとても気恥ずかしい気持ちになってしまう。と同時に、主人公の氷川透が、やたら推理にこだわることに妙な親近感を覚えてしまいもするのである。僕は、最初氷川がどうして推理にこだわるのかよく理解できなかった。しかし、よくよく考えると、氷川は推理を通じて自分のモラトリアム期間を延長させようと図りつつ、自己の存在証明をもしようとしているのではないかと思い、合点がいった。

 

 本作は、視点が統一されておらず、パラグラフごとに語り手が変わっていくのだが、そのために、各人の心理がわかり、より一層キャラクターたちに対する読み手の複雑な思いが増すようにできている。読んでいるうちに、自分の中で勝手に合う、合わないができていて、いつの間にか特定の人物の肩を持ったりしている自分がいる。読者への挑戦状もあり、本作は、がちがちの本格ものなのだが、僕はあまりにも登場人物たちの心理に入り込み過ぎて真っ当な推理が全くできなくなってしまっていた。実は、それこそ、氷川透が本作に仕掛けた一番のミスディレクションなのではないかと僕は思っている。

 

 物語に深く入り込めば入り込むほど、事件の真相が提示されたときの悲しみは深い。事件は解決されるべきではなかったかもしれない、とさえ思ってしまうほどだ。青春は確かに美しい、だが、青春は同時に残酷さも備えているのだ、というのがよくわかる。それでも、名探偵は事件を解決しなければならないし、残酷なまでに美しい解決を用意する。論理とはよく言われるように、確かに非情なものなのかもしれない。つまり、論理を駆使する名探偵というのは、最も美しく、残酷で、非情な存在である。彼は、ときに真犯人よりも狡猾で、狂気と紙一重の思考に支配された存在である。

 

最後まで読んで、題名を眺める。『真っ暗な夜明け』。なんと秀逸な題名だろう。この題名の秀逸さは本作を読んだものにしかわからない。

 

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