安楽椅子のモノローグ

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さまよえる自己―精神病理はどこへ向かうか

さまよえる自己―ポストモダンの精神病理 (筑摩選書)

さまよえる自己―ポストモダンの精神病理 (筑摩選書)

 

  僕がこの本を読んだのは、かれこれ5、6年前になる。最近引っ張り出して再び読んでみたが、やはり面白い。僕は著者の講演会を拝聴させていただいたこともあるが、理知的な落ち着いた佇まいで、それでいて静謐な熱さをたたえた、大変聞きやすい話し方をされる先生であった。

 

 精神医学というのは大変興味深い学問である。それは臨床医学でありながら、医学を大きく超えた範疇で引用され続けている。文芸批評や社会批評など多種多様な方面で精神医学を用いた議論が展開されている。医学とは何の関係もない人々に、これほど浸透した医学というのは他にないだろう(僕は消化器や循環器について語る評論家を知らないが、精神医学について語る評論家ならたくさん知っている)。

 

 昨今、AI(人工知能)という言葉が流行っている。これについて軽々しく語ることには危険があるが、どうやら医学はAIにとって代わられつつあるらしい、という評判である。本当にそうかどうかは置いておくとして、仮にそうであったとしても精神科だけは無くなることはないであろう。これはきっと間違いない。これほど機器全盛の時代にありながら、機器があっても精神疾患だけはどうしようもない。これほど薬物全盛の時代にありながら、薬物では精神疾患に本質的な治癒を与えることはできない。

 

 人はなぜ精神疾患に罹患してしまうのか。それは自己というものの成立に契機がある。自己を確立するという作業自体に、人の綻びはあるのだ。筆者は有名なベンジャミン・リベットの実験を足がかりとして、自己の成立する瞬間について考察するところから本書を始めている。リベットの実験は次のようなものである。

 

  1. 身体の末梢部位に感覚刺激を与え、対応する大脳皮質の体性感覚野での誘発電位を計測する。
  2. 被験者に単純な動作をできるかぎり自発的におこなってもらい、それを反映する脳の電気活動を頭皮上で計測する。

 

実験はいたってシンプルなものである。しかし、ここから示された結果は驚くべきものであった。

 

結果1 刺激が知覚という体験になるために0.5秒という脳の処理過程が必要であった。しかし、被験者が刺激を知覚したと報告するのは、刺激直後であった。つまり、脳の処理が遡行され、あたかも遅れがなかったかのように、被験者には体験される。

結果2 運動を開始しようと意志したと被験者が報告するよりも0.35秒前に、脳は活動を始めていた。

 

 ひとつめの実験は知覚に関する実験、ふたつめの実験は意志に関する実験である。若干の違いはあるが、大雑把に0.5秒と捉えることにしよう。この実験は電気活動としての脳の信号処理と人間の知覚や意志発動との間に遅れがあることを示している。当然と言えば当然のことだが、驚くのはそこではない。知覚の場合には0.5秒の遅れが取り戻されていることである。そして、意志の場合にはそれが取り戻されていない。

 

 この実験は知覚と意志の非対称性を明らかにしている。そして実は、ここに自己の狂気が内包されているというのだ。この実験から筆者は縦横無尽に論を展開していく。それについて、ひとつひとつ語ることは僕の実力をはるかに凌駕するので、各自本書を参照されるとよい。とにかく要点はひとつだ。先にも触れたように、知覚は遅れを取り戻せるが、意志は取り戻せない。筆者自身の結論を引用しよう。

 

知覚の場合、自己は刺激に応答して立ちあがり、その自己が経験を完結させる。そして自己を与えた契機を自己の中に取り込むのである。他方、意志の場合には、その発動の瞬間に居合わせることは、開闢の瞬間という狂気をはらむことになる。意志とは何かへの応答であり、その間を埋め合わせることはできない。もしできたとすれば、それは開闢の狂気に触れることである。

 

 この上なく簡潔に結論が書かれているが、ここに至るまでの筆者の議論は相当丁寧である。ぜひ本書を読んでこの結論に至るまでの流れを楽しんでいただきたい。

 

 すでに相当お腹いっぱいの議論であるが、なんとこれは本書の第1章に過ぎない。この後、筆者は、まなざしについて、言語の問題について、ピュシスとノモスについて、モダンとは何かについて、縦横無尽に語っていく。そして、モダンと不可分の疾患、メランコリーとスキゾフレニア(あえてうつ病統合失調症とは呼ばない)について論を展開する。精神疾患が歴史あるいは時代背景といかに深い関わりをもっているかが、本書を読むとよくわかる。精神医学はだから、文芸批評や社会批評とも関わることが可能なのだ。

 

 すでに我々はポストモダン=歴史の終わり を生きている。歴史の終わりを生きている今、では、ポストモダンを象徴する病は何か。それはトラウマである。最後まで刺激的な議論が続く。本書は、たかだか300ページ程度の本であるが、そこに書かれている内容は凝縮されていて、濃い。よくこれほどまでに濃い内容を一般書として出したものだ。

 

 だからだろうか。以前、筆者とお話ししたときに、「あまり売れていない」とおっしゃっていた。確かに、この本は数多ある精神医学系の本の中でも、決してすらすら読めるものではない。だが、こういう本こそ必要なのだ、と僕は思う。書店には精神医学に関する本は吐いて捨てるほど並んでいる。メンタルヘルスへの関心が高まっていることは、喜ばしいことだが、表層だけをなぞった本がとても多いのもまた事実である。もちろん、単なるハウツー本的なものを読んで対処するというのも必要であるのは間違いない。ふつうは、診断や解釈よりも治療や対処が優先される(し、もちろんそうあるべきである)。だが、もう少し深く精神医学について、突っ込んでみたいという人は、ぜひ本書を手に取ってもらいたい。メンタルヘルスが叫ばれる今日だからこそ、こういう原理的な本が、いっそう読まれるべきである。