安楽椅子のモノローグ

完全なる頭でっかちを目指す

顕微鏡、アート、キャラクター ― 芸術は生物だ!

 21世紀のキーワードとはなんだろう。「フラット化」、「観光」、「シンギュラリティ」、「AI」、「量子コンピュータ」・・・思いつくままに挙げても無数にある。他にも「ポストゲノム」あるいは「エピジェネティクス」。いや、この2つはいささかscientific過ぎるだろうか。僕はもっと手垢にまみれた言葉をあえて使いたい―「バイオ」。

20世紀はすでに「バイオ」の時代であった。そして「バイオ」の時代はまだ終わりを告げない。それは、節操のないリゾームのように様々な領野に侵食し、切断し、接続する。

 

1 顕微鏡

今年のノーベル化学賞は、クライオ電子顕微鏡であった。「サンプル水溶液を極低温に附し、周囲の水を急速凍結させたうえで電子顕微鏡測定を行う電子顕微鏡」である。Cryoとは冷凍とか冷却を意味するので名前通りの装置である。どうしてこんなものが、すごいのか。クライオ電子顕微鏡は、生体高分子の解明に大きく貢献をしたからである。従来の方法では、電子顕微鏡測定は高度真空状態で行われていた。しかし、この方法では、元来、水分が豊富にある状態ではたらくはずの生体高分子の構造や機能に関する情報が失われてしまうのである。それを解決したのが、クライオ電子顕微鏡だ。周囲の水とともに冷凍するため分子をほぼ「生前の」状態のまま保存できる。それは生体内に存在したときとあまり変わらない状態のため、生体内でどのような構造を保ち、どのような機能を発揮していたかがわかるようになる。しかも解像度がかなり高い。この解像度を上げるというのがなかなか難しいようで、解像度を上げられるようになって飛躍的に使用件数は増加しているようである。僕の愛読するWIREDでも記事が取り上げられているので、参照されたい。 

 この技術は人間の「見る」、「見たい」という飽くなき欲求の到達点のひとつであろう。だが、まだこれは究極の到達点ではない。我々は、まだ「見る」ことができるだろう。そして、「見る」という欲求は特に「バイオ」において強い。生体を可視化するというのは人類の究極の理想だ。クライオ電子顕微鏡に限らず、現時点で様々な生体可視化法が考案されている。我々の「眼」は一体どこまで分解能をあげていくのであろうか。

 

2 バイオ・アート

バイオアート―バイオテクノロジーは未来を救うのか。

バイオアート―バイオテクノロジーは未来を救うのか。

 

  僕はこの本を初めて見たとき、衝撃を受けた。現代のアート事情には全く無知であったために、このような分野が存在していることすら知らなかった。だが、よく考えてみれば、僕はいつも光学顕微鏡を見ながら、感嘆している。HE染色のなんときれいなことか! そうか、「バイオ」とはすでに「アート」なのだ。きっと見る人が見れば、「バイオ」と「アート」の融合など必然的な結果でしかないのだろう。とはいえ、アートに無知な僕は、この本を読むのには時間がかかる。バイオ・アートは2重の歴史を抱え込んでしまっている。それは生物学の歴史であり、芸術の歴史である。僕はその2つの歴史をひとつずつ紐解きながら作品に向かわねばならない。それはかなりのエネルギーを要する作業である。僕は、いまとてもゆっくりと本書を読んでいる。ほとんど眺めているだけのときもある。頭に入ってこないのではない、頭に入って来すぎて困るのだ。作品が僕の視野を満たす。僕はそこに書き込まれた象徴を読み解こうとする。そして作品解説を読む。解説はわかる部分もあればわからない部分もある。そしてまた作品を見る。

 

 僕には、バイオ・アートの全貌はまだ見えてこない。もしかするとこのままずっと見えないままかもしれない。しかし、その動向を追って行こうと思う。僕が本書を見たとき、天啓のように感じた気持ちは希望だった。僕の直感は、今回は当たるだろうか。それを見届けるのはずいぶん先だろう。だが、バイオ・アートは、科学、芸術、哲学、倫理学をいっせいに巻き込んだ21世紀のモードを形作るに違いない、と信じている。

 

3 キャラクター

気になるあの病気から自分を守る! 感染症キャラクター図鑑

気になるあの病気から自分を守る! 感染症キャラクター図鑑

 

  細菌が擬人化される時代がやってくると誰が思っただろう。南方熊楠北里柴三郎に見せてあげたい。コッホはなんと言うだろうか。彼らが拓いた微生物学は、予想をはるかに上回る形で世間に浸透している。こういう本はまったく馬鹿にできない。世界に名高いバイブルのごとき専門書よりもよっぽど本質的な議論が書かれていたりする。もちろん本書も例外ではない。細菌もウイルスも寄生虫もかわいいなあ、とため息が出る。それでいて、医学的知識がきちんと書かれている。僕は生命系に興味のある人たちには本書を勧めるようにしている。とっかかりなどどうでもよいのだ。とにかく、生命系おもしろいな、と思ってもらっていろんな人が、いろんな関わり方をしたらよい。

 

 現代において「キャラ化」は避けて通れない。「キャラ化」はひとつの物差しであり、「キャラ化」の度合いは、その分野への注目度の度合いと相関している。「キャラ化」されない分野は世間から見向きもされていないと思ってよいのだ(だから価値がないというわけではもちろんない)。微生物学は「キャラ化」が相当に進んだ分野だ。つまり、世間の注目度がきわめて高いということである。「バイオ」はすでに、大衆に浸透している。学問は雲の上の存在であっては決してならない。僕の格言だ。地上に降りて勝負しようぜ。「バイオ」はもうそこかしこにいる。このままこねくり回されて突拍子もない反応が起こればいいな、と僕はひそかに期待している。

 

ところで、僕が時折いくカフェに下の本が置いてある。

強く生きる言葉

強く生きる言葉

 

  岡本太郎の言葉は、石つぶてのようだ。読み手の心に暴力的に降りかかってくる。だが、それは決して人を傷つけない。今の現状を岡本太郎ならなんと言うだろう。きっとこう言う。

 

「芸術は生物だ!」