安楽椅子のモノローグ

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夢宮殿―暗く、とても暗い

夢宮殿 (創元ライブラリ)

夢宮殿 (創元ライブラリ)

 

 【あらすじ】
 <タビル・サライ>、別名<夢宮殿>。それは国民の見た夢を分類し、解釈し、保存する国家機関である。その役割は国家の存亡に関わる夢を抽出し、管理することにある。夢の解釈を制度化し、それを最高度にまで高めることによって繁栄した巨大帝国の最重要機関。無意識を管理することにより、テロやクーデターを現実化する前に防ぐことが可能となった世界で、マルク=アレムという名の青年が<夢宮殿>で働きはじめるところから物語は始まる。彼は帝国の名門キョプリュリュ家の一員であるが、なぜ自分が突然<夢宮殿>での職務を任命されたかわからない。その理由が語られることも決してない。どうして彼は突然働くことになったのか。理解不能のままに彼の<夢宮殿>での職務が始まる。

 

 巨大な官僚機構の不条理とディストピア的世界観が満載な小説である。文章のトーンは重々しく、最初から最後まで鬱屈とした閉塞感が漂い続ける。久しぶりにこんな暗い小説を読んだ。だが、同時に感嘆もした。本全体が、呪詛で埋められているかのようだ。負のエネルギーが充満している。こんな漆黒の想像力をもった作家、イスマイル・カダレとは何者なのだろう。

 

イスマイル・カダレはアルバニアの小説家だ(ノーベル賞候補にも幾度もノミネートされている)。アルバニアは、長らくオスマン帝国と列強に支配されてきたバルカン半島の小国である。政治的にも経済的にも狂乱をきたした国らしい。なるほど、このような風土がカダレの作風に影響を与えているのか。平和な日本でのうのうと暮らす僕には、まったく想像もつかないが、社会主義体制の国で生まれ、育つというのは独特の感性を育むのだろう。そこでしか育たない情緒というものがきっとあるに違いない、と本書を読むと感じる。

 

カフカオーウェルと比べられることが多いようで、確かに、そのような比較文学論はおもしろいだろう。だが、彼らと決定的に異なるのは、カダレには強い民族的アイデンティティがある点である。キョプリュリュ家というのは、実際にアルバニアに存在する(した?)家らしい。本作品には、キョプリュリュ家の伝承が出てくるが、それは物語に大きなかかわりをもつこととなる。カダレは歴史に並々ならぬこだわりを持っている。
 どこまでも自民族のアイデンティティにこだわりながら、しかし、その作品が普遍文学たりえているというのは逆説的で非常におもしろい、と僕は思う。

 

本書が肌に合わないと感じられる方も中にはいるだろう。字がぎっしりと詰まっていて、読むものを圧倒する本であるのは確かだ。加えてテーマも重く、不合理さと奇怪さと気味の悪さに彩られているからなおさらだ。これをあえて翻訳し、しかも文庫として出版してくれる創元ライブラリの度量の大きさにびっくりする。

 

 しかし、カダレを放棄するのは非常にもったいない。このどこまでもダウナーな想像力の行く先を見届けてみたい。すでに、邦訳書は他にも多数あるが、僕自身、まだこの『夢宮殿』1冊しかカダレ作品を読んだことがない。今回は本当に疲れる読書だったが、めげずに別のカダレ作品を読んでいこうと思っている。

 

最後に、カダレが創作について語ったインタビューを引用しておこう。

 

書くことは、仕事としては幸せでも不幸でもなく、何かその中間みたいなものです。ほとんど第二の人生といったところでしょう。〔・・・〕。いつも平常心を保たなければならないんです。幸福も不幸も文学にとってはよくない。幸せだと、軽くて軽薄になりがちだし、不幸だとものの見方が混乱してしまう。まず第一に生きて、人生を経験すること。書くのはそれからだ。

 

深い言葉である。