安楽椅子のモノローグ

完全なる頭でっかちを目指す

メフィスト賞の軌跡―その1 森博嗣

「先生……、現実ってなんでしょう?」
萌絵は小さな顔を少し傾けて言った。
「現実とは何か、と考える瞬間にだけ、人間の思考に現れる幻想だ」
犀川はすぐ答えた。「普段はそんなものは存在しない」

 

 森博嗣について、今さら何か語るなんてとても気恥ずかしい気持ちになってくる。僕が今日ここで語ることは、すでに他の誰かが、語っているに違いない。しかも、僕より優れたやり方で。しかし、昨日天啓のように閃いた、メフィスト賞受賞作をすべて(断続的にはなるが)レビューする(これもすでに誰かがやっているだろうけれど)という計画を遂行するために、避けて通ることはできない。

  

すべてがFになる (講談社文庫)

すべてがFになる (講談社文庫)

 

【あらすじ】
孤島のハイテク研究所で、少女時代から完全に隔離された生活を送る天才工学博士・真賀田四季。彼女の部屋からウエディング・ドレスをまとい両手両足を切断された死体が現れた。偶然、島を訪れていたN大助教授・犀川創平と女子学生・西之園萌絵が、この不可思議な密室殺人に挑む。新しい形の本格ミステリー登場。  

 

 受賞作『すべてがFになる』は、ミステリ界に大金字塔を打ち立てた。それは地球が滅びない限りビクともしない、決して色褪せもしない、どえらい金字塔である。今もミステリ界の中心にそびえたっているし、その座が奪われることもない。森以降に現れた「理系ミステリ」は、当然、森と比較されこととなるし、どうあがいたって森を意識せざるを得なくなるという意味で悲劇である。

 

 何もかもが衝撃的だったとしか言いようがない。冒頭、西之園萌絵真賀田四季の会話がいきなり衝撃的である(小説本編に入る前に青木淳オブジェクト指向システム分析設計入門』が引用されていることがすでに衝撃なのだが)。

 

「〔…〕1から10までの数字を二組に分けてごらんなさい。そして、両方とも、グループの数字を全部かけ合わせるの。二つの積が等しくなることがありますか?」
「ありません」萌絵は即答した。「片方のグループには7がありますから、7の倍数になりますけど、もう片方には7がないから等しくはなりません」
「ほら、7だけが孤独でしょう?」

 

かっこよすぎる。この時点で僕は鳥肌が立った。

 

 タイトルが衝撃的である。このタイトルに込められた意味は作品を最後まで読んで初めて理解されることとなる。「うわぁ、ここで出てくるか! もう、やられた!」という感想しかない。だが、それだけではない。副題すらが秀逸なのだ。THE PERFECT INSIDER あんぐりと開いた口が塞がらなくなる。しかも、この後に続く、S&Mの連作を最後まで通読して改めて眺めると、よりこの副題の味わいが深くなってくる。どこまで、計算してんだよ!とツッコミたくなる。

 

 言わずもがな、トリックが衝撃的である。本格の醍醐味「密室殺人」に真っ向から挑戦し、歴史上類を見ないトリックで読者を唖然とさせた。素人から玄人まで誰もが驚嘆したのだ。なんだそのトリックは! 誰も思いつかねぇよ! しかし、誰も文句を言うことができなかった。論理的整合性がすべて保たれていたからだ。足りないのは僕らの想像力の方なのだった。その想像力とは「工学的想像力」である。森の作品は「理系ミステリ」と呼ばれるが、僕はあえて「工学的ミステリ」と呼びたい(すでに誰かが呼んでいるかもしれないが)。

 

 研究に対する深い洞察をミステリに盛り込んだのも、森博嗣が初めてだろう。まずもって、国立大学助教授でかつミステリ作家などという存在が初めてではないか。
 S&Mシリーズ2作目『冷たい密室と博士たち』からの引用であるが、高校数学に出てくる公式が何の役に立つかという(僕もこれまで何度もこの質問をされた経験がある)質問に対する犀川の回答である。

 

「何故、役に立たなくちゃあいけないのかって、きき返す。〔…〕だいたい、役に立たないものの方が楽しいじゃないか。音楽だって、芸術だって、何の役にも立たない。最も役に立たないということが、数学が一番人間的で純粋な学問である証拠です。人間だけが役に立たないことを考えるんですからね……。〔…〕そもそも、僕たちは何かの役に立っていますか?」

 

 これは研究者を励ます言葉である、と同時に、実用性ばかりを求める生き方に省察を促す言葉でもある。研究を志望する若者には森ミステリを読んで欲しいと思う。典型的な科学啓蒙書を読むよりか、何十倍もためになるから。

 

 森博嗣の運営するサイト森博嗣の浮遊工作室もぜひ覗いてみてもらいたい。森博嗣のアイデアの源泉がどこから来ているのか、きっとわかるだろう。