安楽椅子のモノローグ

完全なる頭でっかちを目指す

ニューロマンサー―それはすべてのサイバーパンクの母型

 サイバーパンクという言葉を僕が初めて聞いたのは、士郎正宗攻殻機動隊』に関する書評を読んだときだった、というおぼろげな記憶がある。僕は『攻殻機動隊』はアニメばかり観ていたから、コミックの方を読んだときは、テイストの違いに結構驚いたものだ。なるほど、こういうのをサイバーパンクというのか、と妙に納得した覚えがある。それから、また、しばらく経ってから、サイバーパンク聖典と呼ばれるSF小説があることを知った。それが『ニューロマンサー』であった。 

 

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

 

 【あらすじ】
ハイテクと汚濁の都、千葉シティの空の下、コンピュータ・ネットワークの織り成す電脳空間を飛翔できた頃に思いを馳せ、ケイスは空虚な日々を送っていた。今のケイスはコンピュータ・カウボーイの能力を奪われた飢えた狼。だが、その能力再生を代償に、ヤバい仕事が舞いこんできた。依頼を受けたケイスは、電脳未来の暗黒面へと引き込まれていくが・・・・・・新鋭が華麗かつ電撃的文体を駆使して放つ衝撃のサイバーパンクSF!

 

 港の空の色は、空きチャンネルに合わせたTVの色だった。

 

というSF史上、稀に見る名文から始まる本作を、初めて読んだときのあの得も言われぬ興奮は、いまだに僕の体内に残っている。次から次に登場するおびただしい造語の群れで頭がパンクしそうになる。退廃した近未来のイメージが、さながら万華鏡のようにめまぐるしく移り変わり、脳裏に残像が刻まれる。ほとんどの文章を頭で明快に理解することはできない。『ニューロマンサー』は頭で読む書物ではないのだ。だが、僕の中の何かがこの小説に強く反応した。

 

 電脳世界への「没入(ジャック・イン)」、身体改造、視覚像の投影、ROMとしてだけ存在する疑似人格、臓器移植や神経接合や微細生体工学と同義語となった千葉、共感覚幻想としてのマトリックス、擬態ポリカーボン……
 鳥肌の立つようなガジェットの群れが、本作には登場する。イメージせよ、と言われても容易にイメージすることはできないものもある。想像力がぶっ飛んでいるのだ。ひとつくらいならば僕でも創り上げることはできるかもしれない。しかし、これらイメージの群れをひとつ残らず掴まえて、形にし、ましてや、そこから長い物語を作るなど常軌を逸した精神である。ウィリアム・ギブスン自体が並列処理機械なのではなかろうか。思考のスピードが恐ろしく速い。

 

 電脳世界を舞台とした小説やアニメは山のようにあるが、『ニューロマンサー』を読んだ後では、それらは児戯にも等しいもののように思えてくる。それらは『ニューロマンサー』のガジェットをいくつか取り出して再構成されたものに過ぎない。『ニューロマンサー』は今ある電脳的作品のアイデアの源流なのだ。すべての電脳的作品は『ニューロマンサー』に通じている。

 

「悪魔を呼び出すには、そいつの名前を知らなくちゃならない。人間が、昔、そういうふうに想像したんだけど、今や別の意味でその通り。わかってるだろ、ケイス。あんたの仕事はプログラムの名前を知ることだ。長い正式名。持ち主が隠そうとする名。真(まこと)の名―」
チューリング暗号(コード)はおまえの名前じゃない」
ニューロマンサー
と少年は、切れ長の灰色の眼を、昇る朝日に細め、
「この細道が死者の地へとつながる。つまり、あんたが今いるところさ。お友だち。マリイ=フランスが、わが女主人がこの道をととのえたんだけど、そのご亭主に縊り殺されて、予定表を読ませてもらいそこなった。ニューロは神経、銀色の径。夢想家(ロマンサー)。魔道師(ネクロマンサー)。ぼくは死者を呼び起こす。いや、違うな、お友だち」

 

 タイトルにも意味が何重にも張り巡らされている。これほど簡潔にして、しかし、マルチミーニングなタイトルを持つ作品が他にあるだろうか。『ニューロマンサー』がSFの歴史に名を残すことは、このタイトルからしてすでに決定されていたといえるだろう。

 

 サイバーパンクは今やSFの何の変哲もないジャンルのひとつとなった。しかし、『ニューロマンサー』を上書きし、それを乗り越えた作品はいまだにない。それは喩えるなら、ノイマン型コンピュータのようなものだろうか。

 

 『ニューロマンサー』はサイバーパンクのひとつなどでは決してない。すべてのサイバーパンクが『ニューロマンサー』の亜型なのである。そこを取り違えてはならない。