夏への扉―僕らはみんな夏への扉を探している
必読である。この作品を読まずに死ぬのはもったいない。
どこがすごいか、言ってみよう。まず、タイトルが秀逸である。次に、ストーリーがおもしろい。その上、読後感も最高だ。こんな3拍子揃った小説がハズレなわけがない。
何だ、そのあまりに普通の褒め方は、と思われる向きもあろうが、たったこれだけでいいのである。嘘も大げさも紛らわしさもいらない。『夏への扉』について、賛辞の言葉を述べるのには、何の脚色も要しないのだ。
「どうせ嘘っぱちだろう」と思って、1ページめくるだけでよいから、どうぞやってみてください。気づいた時にはもう読み終わっています。
かわいそうなおじさんと猫の話である。しかし、この小説には妙な若々しさがある、と感じた。読み進むにつれ、そんな気持ちがどんどん大きくなっていく。確かにおじさんと猫だよ…な。でもなんか、少年が精いっぱい人生に奮闘して、もがいて、生き抜いていく様が描かれているような、爽やかな青春小説を読んでいるような気分がしてくるのだ。初めて日本で翻訳が出たのが、1958年という。それ以来、長きにわたりオール・タイム・ベスト上位ランカーの座を譲らないのも頷ける(以前、記事を書いた『ソラリス』は、しかし、『夏への扉』を凌駕する人気を誇るようだが、僕自身は甲乙つけがたいと思う)。
「冷凍睡眠(コールド・スリープ)」が実用化された近未来を描いたSF小説であることは言うまでもないが、この作品にはその他、「タイム・トラベル」も出てくる。そして、本作は、この「タイム・トラベル」を利用した上質なエンタテインメント小説としても読むことができる。さらには、何ともあっぱれな勧善懲悪を描いた痛快な冒険活劇として読むこともでき、はては、この上ない究極の恋愛小説として堪能することもできるのだ。もちろん、前述のように、青春小説でもある。
つまりは、名作というほかない、ということだ。陳腐なように聞こえるが、何度も言うように、それ以上の言葉を何ら要しない真の名作である。
「人間用のドアの、少なくともどれかひとつが、夏に通じているという固い信念を持って」いる猫のピートが、とても愛らしい。猫好きにはたまらないことだろう。猫というのは小説にとても向いている生物だと思う。いつか、猫をテーマにした小説を集めてレビューしていくというのもいいなあ。『夏への扉』を読むと、猫を飼いたい、という気分にもなってくる。
主人公のダニエルは、頑固で、偏屈な、技術者だ。彼の思想は深遠さからは程遠い。だが、単純な思想が真理を言い当てていないということにはならない。
なんどひとにだまされようとも、なんど痛い目をみようとも、結局は人間を信用しなければなにもできないではないか。まったく人間を信用しないでなにかをやるとすれば、山の中の洞窟にでも住んで眠るときにも片目を開けていなければならなくなる。いずれにしろ、絶対安全な方法などというものはないのだ。ただ生きていることそれ自体、生命の危険にさらされていることではないか。そして、最後には、例外ない死が待っているのだ。
世の中には、いたずらに過去を懐かしがるスノッブどもがいる。そんな連中は、釘ひとつ打てないし、計算尺ひとつ使えない。ぼくは、できれば、連中を、トウィッチェル博士のタイムマシンのテスト台にほうりこんで、十二世紀あたりへぶっとばしてやるといいと思う。
後者の台詞など、完全なる頭でっかちの僕には、何とも身につまされるものがある。こんなに無骨で、愚直で、だが、この上なく優しい主人公は他にはいないだろう。彼は人間を、猫を、いや、すべての生物を愛おしいと思っているのだ。
ピートはどの猫でもそうなように、どうしても戸外へ出たがって仕方がない。彼はいつまでたっても、ドアというドアを試せば、必ずそのひとつは夏に通じるという確信を、棄てようとはしないのだ。
そしてもちろん、ぼくはピートの肩を持つ。
こんな飼い主をもつ猫はとても幸せだろうな。
ソラリスもぜひ読んでみてください。