非線形科学―同期する世界
「分解し、総合する」一辺倒ではない科学のありかたが可能なことは、もっと広く知られてよいと思います。それは分解することによって失われる貴重なものをいつくしむような科学です。
「全体は部分の総和からなる」という文章に、不信感を抱く人はいないだろう。それはあまりにも自明で、別に明言する必要さえないことだと感じられる。ところが、ある程度数学を勉強するとそうではない例というのが出てくる。例えば、「自然数全体の集合」を考える。誰でも知っているように自然数は偶数と奇数に分けられる。では、「自然数全体の集合」が「偶数全体の集合」より大きいかというとそうではない。実際には、「自然数全体の集合」と「偶数全体の集合」の大きさは等しい。それらは正確に1対1対応として関係付けることができるからである。つまり「部分と総和が等しい」ということになってしまうのだ。よほど数学的感覚に優れた人物でなければ、この事実を聞かされたとき何だか狐につままれたような感覚に陥る。しかし、それが論理的に反証不可能だと知るとしぶしぶ認めざるをえない。しかし、心の中ではきっとこう思っているはずだ。百歩譲ってその事実は認めるとしても、あくまでもそれは頭の中のことであって、現実にはありえない、と。
ところが、それはとんでもない誤謬である。「全体が部分の総和にならない」例は、実は自然界に数多く認められる。しかも、それは我々が日常的に経験する、ごく普通の出来事の中に潜んでいるのである。自然界のリズムをもつ現象―胸の鼓動、呼吸、体内時計、歩行、鳥のはばたき、ホタルの明滅、虫の鳴き声…―はすべて「全体が部分の総和にならない」現象で、同期現象と呼ばれる。これらは長らく科学の対象として不適当なものとみなされてきた。しかし、今、それらは科学の対象として一斉に研究が進み始めている。それを研究する学問は「非線形科学」と呼ばれる。
「理系plus」というサイトに同期現象に関する動画をまとめた記事がある。非常に興味深いのでぜひ一度ご覧いただきたい。
次の数式をご存知だろうか。
同期現象の数学的モデルを作り出そうと試みた科学者がいる。日本が世界に誇る非線形科学の第1人者蔵本由紀(くらもとよしき)である。先に挙げた数式は同期現象の「蔵本モデル」と呼ばれるものだが、この数式を数学的に理解する必要は(研究者でない限り)まったくない。ただ、この数式によって、ホタルの明滅、メトロノームの同期、ミレニアム・ブリッジの騒動といったすべての同期現象の背後に潜む数学的構造を表すことができるということさえ知っていればよい。数学的に知りたい方は、下のサイトをお読みください。非常にわかりやすく解説がなされている。
ちなみに「蔵本モデル」に表される数式を数学的に解いたのは、やはり日本人の千葉逸人である。千葉はtwitterでも有名なので知っている方もおられるだろう。ちなみに僕も以前「ヘウレーカ!!」という記事で取り上げたことがある。
驚くべきは、同期現象という非線形的な現象の背後に、それを統一的に表すことのできる1個の数式が存在するという事実であろう。これこそ自然科学の醍醐味である。一見、全く違うように見える現象同士が、共通の数学的原理により記述できるという事実は、我々を驚嘆させる。僕らは別に受験に合格するためだけに数学を勉強しているわけではないんだ、ということがよくわかる事例だろう。自然を記述することすら、数学のごく一部の可能性でしかない。本当に数学って深遠な学問だなあ、とつくづく感じる。
とはいえ、僕のような輩には数式ばかり出されても混乱するだけなので、下の本に頼った。非線形科学に興味をもたれた方には、ぜひお勧めである。
「蔵本モデル」の創始者にして、非線形科学の世界的権威蔵本由紀みずからの著作である。この中には、数式はほとんど出てこない。その代わりに、これでもかというほどの同期現象の実例が紹介されている。これほど充実した具体例を、ひとつひとつ解説を加えながら、しかも完結にわかりやすく書いた本というのは、他にないだろう。必読書リストにぜひ加えたい一冊である。
非線形科学的なものの見方というのは、今後の社会にとって必須の教養となるであろう。以前取り上げたカオスもそうであるが、分野を横断し統合する強力な体系が今後も登場し続けるに違いない。僕らはその黎明期を生きているのであり、新しい世界像の立役者に、外ならぬあなた自身がならないとも限らないのである。
カオスはこちら。