安楽椅子のモノローグ

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メフィスト賞の軌跡―その8 浅暮三文

しかしな、ダブェストンの郵便配達は男の中の男の仕事さ。素人は郵便を出しに行くまでに迷って野垂れ死にしてしまう奴もいる。たまに向こう見ずな馬鹿が郵便泥棒をたくらむが、大抵、野ざらしの骸骨さ。

 

タニアを見かけませんか。僕の彼女でモデルなんですけど、ひどい夢遊病で。ダブエストンだかダブストンだかに探しにきたんです。迷い込むと一生出られない土地なんで心配で。王様?幽霊船?見ないなあ。じゃ急いでるんでお先に。推理作家協会賞受賞作家の原点。メフィスト賞受賞作。

 

 『ダブ(エ)ストン街道』は、メフィスト賞受賞作の中で、際立って異彩を放つ作品である。夢遊癖のために失踪してしまった恋人タニヤを探すために、その恋人ケンが彼女の迷い込んだ幻の島ダブ(エ)ストンを放浪して回るという話である。エに括弧がつけてあるのは、この島の呼び名あるいは表記が一定せず、ダブストンなのかダブエストンなのか、どちらが正式な名称なのか判然としないことによる。ダブ(エ)ストンは、四方を海に囲まれたずいぶん不思議な島である。そこには道しるべになるようなものが何もなく、旅人は文字通り放浪する以外に手段がない。住民たちですら島の全貌を知る者はなく、下手すると何十年も目的地にたどり着くことはできない。頼りになるのは、時折出会う人たちからの情報と勘そして幸運だけなのである。このような幻の島に迷い込んだタニアを探すためにケンもまた迷いながら、あてもない旅を続けていく。

 

 浅暮三文メフィスト賞に迷い込んだかのような作家である。ミステリらしい事件はまったく起きない。サスペンス色溢れる仕立てでもない。メタミステリでもない。SFといえば、SFだが、なんといえばよいか、非常に風変わりな作品なのである。ユーモラスでへんてこな世界観が爆発している。奇妙な王様は出てくるわ、喋る人食いグマは出てくるわ、半魚人は出てくるわ、幽霊船は出てくるわ、メルヘンチックなギミックがほとんどすべて使われている。もちろんメフィスト賞は広義のエンタテインメントを募集する賞なので、どんな作品であってもよいのだが、ここまでミステリ色を一切排除した小説というのも珍しい。しかも、風変わりだ。他にいくらでも応募できる新人賞はあっただろうに、あえてのメフィストというのが、不思議だ。やはり迷い込んでしまったのだろう。

 

 最初は、「本当におもしろいの?」と疑いの気持ち満載で読み始めた。読みなれないジャンルには半信半疑でのぞんでしまうというのが、僕の心の狭さをよく表している。
  確かに、設定を理解するまでは少々骨が折れるといえるだろう。いくつかの別の話が、並行して描かれるので最初はいきなりの場面転換に戸惑うかもしれない。ここであきらめずにしっかりとゆっくり状況を理解しておいた方がよい。しかし、戸惑うとしてもわずか2、3章程度のことにすぎない。いったん、この世界観に慣れ親しんでしまったら、スピードは一気に加速する。それまで、点と点だったダブ(エ)ストンでの出来事たちが次々につながっていく。伏線回収の見事さにはきっと舌を巻くだろう。「おお、これとあれがそんなふうにつながるのか!」と思わず膝を打つ。読後感も実に微妙な余韻を漂わせる仕上がりになっており、締め方も秀逸だ。

 

 本当に風変わりな(何度この言葉を使っただろう)小説だ。少なくとも僕はこのようなテイストの小説を初めて読んだ。しかし、所詮、僕が読んできた本の数などたかが知れているので、こういう作品が他にあるかどうかよくわからなったのだが、あとがきで石田衣良が、こんな風に書いていた。

 

『ダブ(エ)ストン街道』は、類似した小説を探すのが困難なほど奇妙で、風変わりな作品だ。すれっからしの読者ならわかってもらえると思うけれど、書店にはおもしろい本はたくさんあるが、味のある小説は実は数が少ない。

  

 プロの作家から見ても風変わりなのだ。僕が経験したことがあるはずもない。

 

 そのような小説の常であるように、本作にはコアなファンがついているようだ。「復刊ドットコム」では、百票以上の投票を集めた(それが多いか少ないか僕にはわからないけれども)幻のデビュー作と呼ばれている。
 幻とつくものは何でも読んでみたほうがよい、というのが僕の信条である。機会があればぜひみなさんも読んでみてほしい。はずれではないです。絶対に。

 

 浅暮三文には、五感が極限まで研ぎ澄まされた世界を描く、「感覚」シリーズというのもある。これもまた、浅暮三文にしか書きえない独特の世界が描かれており、おすすめである。

 

 

 何度言ったかわからないが、風変わりな小説である。しかし、最後には何とも言えないカタルシスがある。生きるというのは常に迷い続けることなのだ。そして、迷っていいのである。どうしようもない迷いを生きることこそが真の生なのではないか。最後はそんな気にさせられる。文体の醸し出す軽さとは裏腹に深い洞察が本作には存在する。この世界観は浅暮三文にしか描くことができない。
 唯一無二という言葉は浅暮三文のためにある。

 

前回のは、こちら。