安楽椅子のモノローグ

完全なる頭でっかちを目指す

メフィスト賞の軌跡―その10 中島望

正義なき力は無能なり、力なき正義もまた無能なり。 

 

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悪の華が咲き乱れる荒廃しきった高校へ転校した少年、逢川総二(あいかわそうじ)は、あの“極真”の達人だった!VS.中国拳法、ボクシング、少林寺拳法、柔道、空手、剣道。激闘は限界を超えて加速する!第10回メフィスト賞受賞、衝撃の新人デビュー作。血と力の神話のアジテーター、梶原一騎の再来か!?

 

 汗と血。

 

 中島望『Kの流儀』には、そのような言葉がふさわしい。小説全体が漢(あえてこう書こう)たちの汗と血で、できていると言ってよい。最初から最後まで暴力によって支配された小説。作者自身も極真空手の門下生である。『Kの流儀』は、まさに漢による漢のための小説なのだ。

 

 筋書きもいたってシンプルである――漢同士の死闘。

 

 極真空手の使い手・逢川総二が、私立赤城高校に転校してくるところから物語は始まる。赤城高校は、暴力の無法地帯といってよいほどの荒れた高校である。そこでは、強きが弱きをくじき、前者が後者を支配する。弱いものに居場所はないのだ。強さは正義であり、強さ以外に正義を表現する術はない。強さだけが唯一にして絶対のパラメータなのである。そんな学校を支配する格闘技の猛者たちと・逢川総二が死闘を繰り広げていく。

 

 しかも、多勢に無勢という状況である。総二の味方は誰一人いない。だが、ほとんどの輩は総二の敵ではない。総二の真の敵は数人の猛者だけである。それでも1対7なのだが!
 武闘派の応援団長、北野了二。少林寺拳法の使い手、狩野莞爾。柔道の達人、込山重太郎。総二と同じ空手家の大迫猛。あらゆる格闘技が揃っている。だが、この4人はほんの序の口に過ぎない。本物の三銃士は最後に控えている。ライトニング・カッターの異名を持つボクサー、相模京一郎。居合で一瞬にして敵を真っ二つにする剣士、荒木但親。そして、最凶最悪の帝王、中国拳法の真壁宗冬。尋常でない強さと精神力と残忍さを兼ね備えた7匹の獣どもが、総二をいたぶり殺すために次々に襲いかかる。

 

 これは和製版ブルース・リーだ。いや、それを超えるといっても過言ではない。生半可な戦いではない。『Kの流儀』で繰り広げられるのは、正真正銘、生きるか死ぬかの戦いである。これが高校生…?と訝る読者多数であろう。だが、設定などという些細なものにこだわっていてはならない。『グラップラー刃牙』を読むのに、誰が設定などにこだわるだろうか。それと同じだ。強大な力の前に、設定など何の意味もなさないのである。手があらぬ方向に折れまがりまるで雑巾のように捻じれていようと、何人もの人間が一瞬のうちにロースハムのごとく切り裂かれようと、構わない。圧倒的なまでの現実離れした描写が、格闘小説や漫画には欠かすことができない。

 

 恋愛模様もある。強い漢というのは、えてして恋愛には晩熟である。総二もその例外にもれず、恋愛経験がゼロである。こんなに孤高で、情け容赦ない男が、恋愛となると振り回されてしまうのだ。しかも、恋愛相手が、帝王・真壁の恋人というのだから、どうなるかは老練な読者ならすぐに推察がつくであろう。

 

 作者は、ちっとも手加減してくれないので要注意だ。一度、読み始めたら最後、読者は修羅の世界をこれでもかと見せつけられることになるだろう。死闘に次ぐ死闘。汗と血が乾く瞬間などないと思ってよい。漢と漢の激突が、最初から最後まで、これほどまでに濃密に書かれた小説は他にない。『Kの流儀』は、最高の格闘エンタテインメントである。

 

 本を読む手に思わず力が入る。血が沸騰するとは、こういうことか、と読者は納得するだろう。『Kの流儀』は、あなたの中の眠った野性を解放し、漢の生き様(たとえ読者が女性でも)を呼び起こしてくれる小説である。

 

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