安楽椅子のモノローグ

完全なる頭でっかちを目指す

メフィスト賞の軌跡―その13 殊能将之

「きみがハサミ男だったんだね。さあ、ぼくといっしょに来てくれないか」

 

 

 ミステリ小説に限らず、傑作に出会うというのは幸運であると同時にもの悲しさも伴う出来事である。読んでいる間は高揚感に包まれるが、読み終わってしまうと、もう二度と初読時と同じ驚きを味わうことはできないことに気づいてしまう。それはある種の中毒のようなもので、あの興奮をもう一度味わいたいためだけに、当てもない傑作小説を探す日々が始まる。果てしのない繰り返し。そんな一銭の得にもならないことに時間をかけることに一体何の意味があるのかと問う人もいるだろう。僕だってふと我に返って自問自答するときがある。だがしかし、傑作に出会ったときの得も言われぬ恍惚感を忘れることなど誰にもできはしない。何を馬鹿な、たかだか本なんぞからそんな恍惚など得られるはずがない、と言う人がいたとすれば、その人は単に傑作に出会ったことがないだけなのだ。いいや、そんな作品などあるはずがない。とまだ言い張る人がいたとすれば、その人にはこう言い切ってしまおう。『ハサミ男』を読め、と。

 

 

【あらすじ】
美少女を殺害し、研ぎあげたハサミを首に突き立てる猟奇殺人犯「ハサミ男」。3番目の犠牲者を決め、綿密に調べ上げるが、自分の手口を真似て殺された彼女の死体を発見する羽目に陥る。自分以外の人間に、何故彼女を殺す必要があるのか。「ハサミ男」は調査をはじめる。精緻にして大胆な長編ミステリの傑作!

 

 自殺願望に苛まれたキモデブ猟奇殺人鬼が主人公という、ちょっと変わった小説である。美少女だけを執拗に狙い、殺人を犯すハサミ男が、犯行手口を真似された挙句にあろうことか、自分のターゲットであるはずの少女を先に殺されてしまう。しかも自分が第1発見者となってしまうという異常な事態に巻き込まれてしまった。偽ハサミ男は何の目的があって少女を殺害したのか、犯行を真似することにどんな意味があるのか。そもそも偽ハサミ男はどこのどいつなのか。ハサミ男は事件の調査に乗り出す。

 

 読んだことがない人のために、ひとつだけ忠告しておくと、ネットで検索してはいけない。すぐにネタバレしてしまうから。絶対にネットで評判を見ずに、すぐに読むことをお勧めする。そして入手後は即座に一気読みすることだ。しかし、焦りは禁物で、比較的ゆっくり読んだ方がよい。うっかり読み飛ばしをしたりすると、この作品の仕掛けに気づくのに時間がかかる可能性がある。ゆっくり、じっくり、だが一気に、というのが『ハサミ男』の正しい読み方だ。焼肉の焼き加減にいちいち口を出す、小うるさいおっさんみたいになってしまったが、『ハサミ男』のすごさをわかってもらいたい一心からの老婆心である。

 

あなたは今までに本を読んで「すげぇー」と叫んだことがあるだろうか。
僕はある。『ハサミ男』を読んだときに。
あなたは今までにあまりの驚きに読んでいた本を落としてしまったことがあるだろうか。
僕はある。『ハサミ男』を読んだときに。
あなたは今までに本を読んで顎関節がはずれたことがあるだろうか。
僕はある。『ハサミ男』を読んだときに。

 

 人生で1、2を争う驚きを必ず体験することができるミステリ小説である。誓っていい。講談社文庫『ハサミ男』はおそらくはどこの書店にも置いてあるものなので、入手は容易だ。持っていなければすぐに買う。そして、402ページまではゆっくり、じっくり読んで欲しい。ここまでは相当念入りに読むことだ。じっくり読めば読むほど403ページの展開に度肝を抜かれるだろう。僕が本を落としたのはまさにこの瞬間であった。あなたはきっと読み返したくなる。また1から読み直してみると良い。あなたは作者に1ページ目からすでに出し抜かれていたことに気づくはずだ。そして、粗探しをしたくなるだろう。どんどん探すと良い。しかし、少しのほころびもない完璧な小説であることに気がつき、また、愕然とするだろう。そして叫び、唸り、認めざるをえない。殊能将之が天才であることを。

 

 だが、同時に後悔するだろう。この作品を超える他の作品を探すのはあまりにも難しい。『ハサミ男』を読んでしまったことは、幸福と同時に悲劇でもある。『ハサミ男』を勧めるのは勇気がいる。勧めた相手から恨まれる可能性が高い。どうしてこんな大傑作を勧めてくれやがったのか、と。

 

 それでも、一縷の希望はあった。殊能将之殊能将之自身に超えてもらえばよいのだ。殊能は『ハサミ男』以後も本当に傑作ばかりを生み出し続けていた。だから、僕は思った。もう一生、殊能作品だけ読めばいいんだ。そしたらいつも驚きをアップデートし続けられる。だが、2013年2月11日にそんな期待も泡となった。殊能将之は逝ってしまったのだ。享年49歳と言われている。

 

 『ハサミ男』と同時代に生まれたことを僕らは喜ぶべきだ。だが、天国の殊能にいささか恨み言を言いたい気もする。どうして傑作ばかり残したのか。おかげで一生彷徨い続ける羽目になってしまったではないか。僕は殊能のおかげで、一生ミステリの森から抜けられそうにない。傑作への渇望が強迫的に僕を捉える。これすらも殊能の仕掛けのひとつなのかもしれない。殊能は本当は生きていて、どこかでひっそりとほくそ笑んでいるのだ。

 

 そうでも思わないと、殊能がもういないという事実を受け入れることは僕にはとても難しい。

 

前回のはこちら。