安楽椅子のモノローグ

完全なる頭でっかちを目指す

症状を知り、病気を探る―ヤンデル先生に会いたい

 OPQRST ―― アルファベットの歌ではない。医学の世界でOPQRSTといえば、問診の基本である。OはOnset(発症様式)、PはPalliative & Provocative(増悪・寛解因子)、QはQuality & Quantity(症状の性質や強さ)、RはRadiation or Region(放散や場所)、SはSymptoms(随伴症状)、TはTime course(発症からの時間経過)である。患者さんから短い時間で効率よく情報を聴取するためのお作法の簡便な覚え方である。しかし、これは覚えやすいという人もいれば、医師になって何年経っても覚えられないという人もいて、評判はそれほど高くない。

 

 ヤンデル先生の手にかかれば、OPQRTはこうなる。すなわち、「きっとマスカラ強いバタコの時間」。

 

 Twitter界隈ではヤンデル先生といえば、超が10000個ほどつくほどの有名人なので説明は不要かもしれないが、一応説明しておくと、病理医である。病理医を世に広めるため、旺盛な広報活動に励み、病理医の生態を広く世に知らしめた人物である。Tweetは常に知的で、華麗で、時折、下ネタを織り交ぜ、読む人を翻弄する。その語り口にハマる人続出であり、一度虜になると、覚せい剤並みの依存性をもつ。ヤンデル先生のTweet無くしては生きられない体となってしまうのだ。

 

 

病気とは何か、患者さんの痛みや苦しみは何に由来するのか--- 病理医ヤンデル先生が、患者さんがよく訴える5つの症状の“みかた"を語る! ------------------------------------------------ インターネットで「病理医ヤンデル」として有名な著者が、 最もポピュラーで、出合う頻度の高い5つの症状である 「おなかが痛い」「胸が苦しい」「呼吸がつらい」「熱が出た」「めまいがする」 の“みかた"を語ります。 「症状を知る」とは、症状もたらす「痛みの正体」を知ること。 そして、「痛みの正体」から、症状をもたらす「病気を探っていく」。 こうした、患者さんの訴えに耳を傾け、寄り添い、 「症状を知り、病気を探り」、痛みを取り除く考えかたは、 すべての医療者が身につけておきたいものです。 「症状は、『患者さんのつらさ』そのもの」と語る著者の やさしいまなざしから紡がれる、 患者さんを救うための新しい物語です。

 

 『症状を知り、病気を探る』は、症候学の本である。病理医が症候学について語るということに僕は驚いた。病理医にとって、症候学は最も遠い存在に思えたからだ。そもそも病理医が患者さんの問診をし、臨床的診断を下すことなどない。誤解を恐れずに言えば、病理医にとって、症候学は不要といってもよいものなのだ。だが、ヤンデル先生はあえて症候学を語る。それはある意味、掟破りの行為だ。

 

 どの業界でも、自分の専門外のことを語ることは危険を伴う行為である。門外漢が何を語るつもりか! というわけだ。だが、僕は門外漢にこそ語れることがあると思う。門外漢は素人である。素人だからこそ、素人がわからないところがわかる。だから、素人に寄り添うようにして語ることができる。実のところ、ある道の専門家であるということは、すでにある種のバイアスに絡めとられているということである。専門家は専門家であるがゆえに、気づかないことがある。

 

 ヤンデル先生初の著書が、病理の話でないのが本当に素晴らしい。あえてどストライクから外してくるところが、ヤンデル先生らしさを如実に表しているなあ、と僕は思った。

 

 本書では、「おなかが痛い」、「胸が苦しい」、「呼吸がつらい」、「熱が出た」、「めまいがする」という病院で出会う5大症候の考え方について、平易に語られている。しかし、本質はきっちりと捉えられていて、簡単だからといって、内容が薄いということは決してない。そこはさすが病理医というべきだ。病理学総論を極めた者にしかできない見方、考え方というのが実によく表されている。

 

 残念ながら、僕は札幌厚生病院を訪れたことはないが、いつか絶対に行ってみたいと思っている。これだけは絶対に叶えようと心に誓っている。来年の病理学会総会は札幌で開催されるので、これは一大チャンスか、と一人で勝手に心を熱くしている。札幌厚生病院で開催されている、研修医勉強会が、この本のオリジンであるという。もし許されるならば、僕もその会に参加をしてみたい。絶対に実りある会のはずだ。

 

 「まず、患者さんの訴えをしっかり聞くこと」という簡単なようで難しい格言が病理医によって語られているというのがよい。この言葉は、すべての医療従事者にとって遵守されるべき至上命題である。2008年に病理は「病理診断科」という標榜を許される臨床科のひとつにもなった。だから、この格言は、今や病理医にとっても無視のできないものとなっている。ヤンデル先生は、この格言を他ならぬ病理医自身に向けて語っているのかもしれない。

 

 来年には、また別の書物を上梓されるという。ヤンデル先生の快進撃はまだ始まったばかりだ。僕もヤンデル先生の信奉者として、病理に何が貢献できるか真剣に考えている。

 

病理といえば、フラジャイルもぜひ読んでみてください。