安楽椅子のモノローグ

完全なる頭でっかちを目指す

死にゆく患者(ひと)と、どう話すか

 日本人の死因第1位は「悪性新生物」である。端的に言えば、「がん」だ。日本人の2分の1は、「がん」に罹患し、3分の1は「がん」で死亡する。将来の見通しはさらに悲観的なもので、そのうち日本人の3分の2が「がん」に罹患し、2分の1が「がん」で死亡するなどとも言われている。「がん」は身近な存在である。「がん」は僕らにとって、最大の敵ともいえるだろう。我々は、この古い病いを未だ完全には克服できていない。新年早々、病気の話なんて縁起でもない、というお怒りを受けそうだが、好むと好まないとにかかわらず、いずれ「がん」と向き合わねばならない時代が必ずやってくる。そのとき、まるで知識のない状態よりかは、少しでも知識をもった状態でいた方がよいことは間違いない。僕は、どんな人でも「がん」についての知識をできるだけたくさん持っていた方がよいと思っている。

 

 ところで、話は変わるが、僕は医学書院の本を結構たくさん持っている方だと思う。別に、医学書院の回し者ではないが、医学書院の本は、総じて素晴らしいものが多い。一番、お世話になったのは『標準シリーズ』で、今でも本棚の一番いいところに配置し、いつでも参照できるようにしている。『標準シリーズ』は、正統派のがちがちの医学書なのだが、医学書院は、それと正反対と言ってもよいほどの、とてもラディカルな書物を出版する会社でもある。以前、記事を書いた『中動態の世界』などは、そのラディカル派の1冊であり、この他にも、『ケアをひらくシリーズ』には、きわめて文学的なノリのものが多い。

 


 年末から正月にかけて、医学書院の『死にゆく患者(ひと)と、どう話すか』を読んでいた。これは本当におもしろい本で、がん診療におけるコミュニケーションの方法が、きわめて実践的に、そして、建前などかなぐり捨てた臨床医の本音が、赤裸々につづられている。

 

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 本書は、國頭英夫先生が、日本赤十字看護大学の1年生に対して講義した「コミュニケーション論」を収録したものである。長年、がん診療に携わった著者が、看護科1年生と真剣な討論をしながら、末期を迎えた患者と、どのようにコミュニケーションをとっていくかについて、学生に超・実践的極意を授けていく。

 

 看護科1年といえば、つい最近まで高校生だったわけであり、まともな討論ができるんだろうかと、僕はページをめくりながら心配していたのだが、國頭先生は、何の躊躇もなく、難解な問いを発していく。たとえば、「死にたい」という希望は、叶えられるべきかとか、死後の世界に「希望」を求めることの是非とか。しかも、そのひとつひとつに必ず自分なりの解答を用意させるというえげつなさである。しかし、僕の心配をよそに学生たちは、しっかりと考え抜かれた真剣な解答を提示する。これには正直かなり驚いた。僕がもし同じ問いを発されたとき、この学生たちのように立派な解答を作ることができるだろうか。

 

 医療従事者は、本書をもちろん読むべきであるが、僕は医療従事者以外の人たちにもぜひとも本書をお勧めしたい。本書は、末期がん患者とのコミュニケーションを主題としているが、実際にはコミュニケーション一般に通ずる実践的スキルもたくさん書かれている。特に、「悪い知らせを伝える=breaking bad news」というのは、誰でもいつかは必ず遭遇する。そのとき、どのようなコミュニケーションをとればいいのか、本書を読むとその対処法がよくわかる。

 

 講義の質も非常に高い。それはもちろん國頭先生と学生のどちらもが、相応のレベルの高さを有しているからなのだろうが、「双方向講義のあるべき姿」が、鮮明に記されている。先生と学生のやり取りが、単なるやり取りだけに終わらず、ひとつの問題提起から幾方向にも派生して、問いと解答が巧みに昇華され、読んでいて数ページごとに「うわぁ・・・」と感嘆の声を漏らすほどである。

 

 冒頭にも書いたが、いずれ日本人は必ず誰もが「がん」と対峙する(せねばならない)時がやってくる。そのようなとき、患者とコミュニケーションをとるのは医療従事者であってもよいが、この先、家で看取るという機会は確実に増えてくる。そうすると、最も密なコミュニケーションをとるのは、他ならぬ家族ということになろう。そこで、コミュニケーションスキルを持っているかどうかは、大きな問題となってくる。スキルなどどうでもいい、心でぶつかればいいんだ、などという人に時々出会うが、僕はそのような人がまともなコミュニケーションをとれる姿を見たことがない。スキルとは何も誰かをだます技ではない。すべての人が安らかに相互理解を深めるためのマストアイテムなのである。

 

國頭先生の次の言葉は、肝に銘じておいてよい。

 

難問に対しては出てくる「答」は不十分であることが多い。その不完全性を認識し、常に見直すことによって、我々はより正しい「答」へ近づけるのです。求められたからいってただ「答」をポンと出しておしまい、ではなくて問題の困難さを理解し、「答」の不満足な点を認識しておくのは、本物のプロの証拠ですよね。

 

 

 来るべき時代に備えて、自分なりの「答」を用意しておくこと。その「答」は一人ひとり違ってよい。だが、その「答」は少ないよりも多い方がよい。いろいろな「答」をつき合わせた結果、さらなる良い「答」を僕らは探していける。そのような自分なりの「答」を見つけておくためにも、1家に1冊と言って、過言ではない書物である