安楽椅子のモノローグ

完全なる頭でっかちを目指す

量子コンピュータとは何か―理解不能の海を漂う

 量子力学を初めて学んだとき、人はその理論の示す「わけのわからなさ」に強い違和感を覚える。量子というものの特異な振る舞いを受け入れることができるかどうかは、量子力学を制覇する(制覇できたといえる人間が何人いるだろう?)ためのまず最初の壁である。そして、その壁は高い。たとえば、今ではあまりにも有名な「シュレーディンガーの猫」の話。 

 

 

 ミクロの出来事をマクロな比喩で語ろうとする滑稽さがここにはある。しかし、これが猫でなかったとしたら、それが微小な粒子だとしたら、事態はどうなるのだろう。たとえば、1個の原子の自転現象を考えてみる。「時計回り」に回転しつつ「反時計回り」にも回転する原子などというのがありうるのだろうか。僕らはこれについても、やはり「ない」と答えるだろう。とすると、僕らは猫であろうが、原子であろうが、そのような二つの状態の重なり合いを肯定することはできないということになる。結局、僕らはミクロな出来事をミクロな比喩で語ったところで、量子力学を受け入れることには抵抗を感じてしまうというわけだ。マクロの偏見を取り除くのは容易いことではない。

 

 人はいうだろう。「そのような状態の重ね合わせというのは、理論的要請からくるものであることはわかる。だが、納得はできない。どうしても納得させたいならシュレーディンガーの猫を現前させてみせよ」と。実は、シュレーディンガーの猫は、実際に現実のものとなりつつあるといったら驚くだろうか。もちろん、猫のレベルでは到底不可能である。しかし、原子レベルでは実験が成功しているというのだ。

 

 最近、次のような本を読んだ。

 

 

0と1の切り替えの連なり――どんな高性能コンピュータも、根本にあるのはこの原理だ。だが、0と1の状態が「両方同時に」あり得たら? 量子力学に基づいた、一見不可解なこの「重ね合わせ」状態を用いることで可能になる、想像を絶する超高速演算。その実現は科学の大きな進歩を約束する一方、国防や金融を根底から揺るがす脅威ともなりうる……話題の次世代コンピュータの、原理から威力までが一冊でわかる最良の入門書。

 

 量子コンピュータというのは、文字通り、量子の性質を利用して設計されたコンピュータのことである。量子が一体コンピュータのブレイクスルーと何の関係があるというのか。僕はコンピュータの仕組み自体ほとんど知識がないが、精一杯、僕なりの解釈をやってみるとこういうことだろう。
 すなわち、コンピュータとは0と1からなる文字列の処理を行うものである。例えば、あるひとつの文字列(例えば1100010110)は、ある一つの情報に対応していると考えればよい。この情報はすべてのコンピュータで共通であるので、それを入力すれば常に同じ応答が返ってくる。ひとつの文字列にはひとつのスイッチが対応している。だから、この例のように10桁の0と1の並びでコンピュータをつくろうと思ったら、2の10乗=1024個のスイッチを必要とする。文字列が増えれば、当然スイッチの数は幾何級数的に増加していく。
 だが、量子コンピュータならそうではない。なぜかというと量子は0と1を同時にとることができるからだ。したがって、量子コンピュータの場合、さきほどの10桁の0と1の並びを表現するためにはたった10個のスイッチしかいらないこととなる。これは驚異的なことだ。試しに文字列を11桁にしてみれば、驚異がよくわかる。スイッチはたった1個しか増やす必要はない、だが、表現できる文字列は1024から2028に増える。桁数がさらに増えると量子はさらに力を発揮するだろう。スイッチは1個ずつしか増えないのに、表現できる文字列の数は幾何級数的に増加していくのだ。
 演算になると、量子の威力はさらに増す。量子はすべての状態の重ね合わせであるのだから、すべての演算を一気に並列して行うことができる。しかし、従来型のコンピュータでは、1回に行えるのは、ただひとつの演算のみだ。

 

 僕の説明はあまりにも稚拙で下手すぎるだろう。だが、心配はいらない。皆本書を読めばいいのである。僕の説明の100万倍くらい詳しくて、わかりやすい解説が施されてある。

 

 量子コンピュータが完成されれば、我々の生活は一変する。今まで不可能だった素因数分解が一瞬で解かれ、公開鍵暗号はすぐにも破られるかもしれない。はたまた、タンパク質の折りたたみ問題や、セールスマン巡回問題といった「NP完全」問題が解かれるかもしれない。

 

 

 

 量子は、ますます「わけのわからない」ものになっていくような気がする。
 それは一部の人間(僕ではない)にとっては、崇高な数学的原理に基づく物理的存在であり、また、別の人間(僕ではない)にとっては、情報世界に革命をもたらす可能性を秘めた宝の原石であり、さらに別の人間(これが僕である)にとっては、いつまでも知的好奇心をくすぐり続けてくれる遊び道具なのである。

 

 量子の「わけのわからない」海のなかを、僕は、いつまでもたゆたっていたい。