安楽椅子のモノローグ

完全なる頭でっかちを目指す

サクラダ・リセット-今世紀の奇跡あるいはスワンプマンの話

 ついに終わってしまった.

 いつ映像化されてもおかしくない,と言われながら随分と時間が経ち,ようやくこの春,アニメと実写の双方で映像化が決まった.そんなニュースを聞いたとき,僕の胸にはいつも嬉しさと共に悲しさが去来する.それは必ず終わってしまうからだ.

 僕はアニメの方しか見ていないが,最終話を見終わったときの喪失感は半端ないものだった.同時に,この一種風変わりな青春譚に心が洗われるような気がした.

 『サクラダ・リセット』は元々は,角川スニーカー文庫の小説であった.ところが,つい最近気づいたのだが,現在では角川文庫にもなっている.スニーカー版が絶版になっているかどうかは知らないが,どちらも存在しているのなら大変喜ばしいことだ.置かれる書棚が増えることで,きっと読者層は今まで以上に広がることだろう.

 

咲良田(さくらだ).海に近い能力者が集まる閉ざされた町――不可思議が日常となったその小さな町で、若者たちは自らの青春を精一杯生きる。それぞれに思いと葛藤をかかえながら……。

見聞きしたことを絶対に忘れない能力を持つ高校生・浅井ケイ。世界を三日巻き戻す能力・リセットを持つ少女・春埼美空。ふたりが力を合わせれば、過去をやり直し、現在を変えることができる。

時を越えて少年と少女が起こす奇跡の物語。

  

 傑作である.これは誇張ではなく,本当だ.『サクラダ・リセット』は,文学史上に名を残す大傑作である.ストーリーは緻密過ぎるほどに練られている.完全にストーリーを出来上げた後で,整合性が完璧に保たれるように調整を施されているため,文句のつけようがない.そして,これほどまでに完成度の高い作品を映像化するのには,大変なリスクがあることは容易に想像がつく.にもかかわらず,アニメは小説世界を完璧なまでに再構成した最高の出来であった.これは奇跡に違いない.断言してもいい.『サクラダ・リセット』を小説とアニメの両方で楽しめる時代に生きる僕らは,奇跡を目の当たりにしているのだと.

 映像化が待たれていたと言いながら,映像化するのが実はとても難しい話である.なぜかというと時系列の問題があるからだ.小説を読めばすぐにわかるが,少年と少女が能力で人助けをするだけの安直な話ではない.もちろん,そういった側面はあるものの,そういった小さな話が,実は咲良田全体=世界を巻き込む大きな話へとつながっている.その大きな物語にかかわる,もう一人のヒロインと言ってもよい少女 相馬菫と主人公二人との関わり合いが現在と過去を往復するもので,小説は7巻もある大部であり,少々時系列を入り組ませてもいつかは必ず終わらせられるが,アニメとなると話数の制限があり,小説通りの順序で制作するのは不可能なのである.

 アニメ版では小説の内容を大胆に再構成し,小説を未読の視聴者にも必ずわかるように工夫が凝らされている.これは監督としてはかなり勇気のいる作業だっただろう.失敗すれば,小説ファンからもアニメ視聴者からも双方から批判の的となりうる.だが,結局はそれは杞憂に終わった.(監督のインタビューはネットで容易に見られるのでぜひ見てください)

 アニメも小説も両方見てもらいたい.アニメは観るが小説はちょっと・・・という人も小説は読んだほうがいい.騙されたと思って.また,小説が好きだからあえてアニメは観ないという人もアニメを観たほうがいい.騙されたと思って.僕の言う奇跡が本当であることを実感できるはずだから.

 終わってしまった.だが,終わっていない.なぜなら咲良田には春埼美空がいるではないか.長々と書いてきましたが,これを書くためだけに今日のブログを書いたのです.

 「春埼,リセットだ」