はじめての英語史-問題を裏から考える
僕は高校生のとき,外国語系の学部に進学したいと思っていた時期があった.しかし,結局その道は断念してしまった.僕は当時あまりにも視野が狭かったために外国語を単なるコミュニケーションツールとしてしか捉えきれていなかったことが,その理由である(と今は思っている).僕は外国語を勉強して,外国の人と話せるようになって,それで一体何をしたいのだろう? 僕は決して話がしたいわけではない.じゃあ何のために勉強するのか.それで外国語系への進学のモチベーションを見出すことができなくなったのだ.
その瞬間から気づき始めたのだが,僕はどうやら傾向として,実用的なものに対する拒否反応のようなものを持っているらしい.実用的という言葉は何だか,表面的で底のないものを僕に連想させる(もちろんこれが大きな誤りであることは知っている.そもそも外国語=実用的という発想自体短絡的にすぎると自虐しておこう).誤解のないように断っておくが,これはものの真価の問題ではなく,僕のどうしようもない性格的傾向によるものである.
そのとき,英米文学とかを知っていたら未来は大きく変わっただろう.僕は当時文学について無知だったし,本にはさほど興味がなかった.これは大変反省するところだ.僕が今になって本を読むのは,過去に対する後悔というのもあるかもしれない.
もうひとつ僕が知っておいたらよかったなあと思うのが英語史である.英語を勉強していると,バカみたいな疑問を思いつく.しかも,習うのが小中学生のときだから,なおさらだ.なんで三単現にはsをつけねばならないの? どうしてappleの前はaじゃなくてanなの? 名前動後とかなに?ふざけてんの? go-went-gone いやいや絶対真ん中のやつおかしいだろ! Knight(ナイト)K発音してやれよ!などなど,英語の教師からしたらこんな質問ばかりを繰り出してくる生徒など,うざくて仕様がないに違いない.
だが,これから紹介する本は上の質問全てに明快な答えを与えてくれる.しかも,どうやら僕がバカみたいだと思っていた上記の質問は,全然バカな質問ではないらしい.ああ、やっぱり誰でも内心思っているんだよな.それを口に出す人と出さない人がいるだけなんだ,と僕は思った.
こんなに明快な答えがあるんなら,英語の先生も答えてくれればよかったものを,と僕は思ったけれど,よく考えたら,学校の英語の授業は「英語」の授業,speakingやwritingの授業なのであって,「英語史」の授業ではないのだから,先生からしてみたら僕みたいな生徒は確かに望まない聴衆というか,場を間違った聴衆だったということになる.僕は空気を読めていなかったのだ.反省.
僕の身の上話はどうでもよいとして,積年の疑問が氷解するのは本当に心地よい.高校生の頃この本と出会っていたら,人生変わってただろうな,たぶん.
本書は,英語史を淡々と語る書物ではない.本書の優れている点は,英語史を学びつつ,学問的方法や問の立て方についても同時に学べる点である.一流の学者というのは本当にクリアカットに物事を捉えるのがうまいと思う.本書は物事の捉え方に大きな助言を与えてくれる.
通時的な視点からの問題意識は「なぜ3単元の-sが付くのか」ではなく「なぜ3単元以外のスロットでは無語尾になってしまったのか」である.不定冠詞の問題やfive-fifthの問題でもそうだったが,現代英語における「なぜ〇〇にだけ□□が適用されるのか」という問いは,裏から考えて「なぜ〇〇以外では□□が適用されないのか」と発問し直すほうが適切な場合がしばしばある.英語史を学びながら,問題を裏から考える習慣をつけてもらいたい.
背筋がしゃきっとするような名言である.僕には「はい!」としか言いようがない.